国境なき古本屋 ブック・エデン「book-EDEN」 の BLOG

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| 2006.11.30 Thursday | | - | - |
■新企画・国境を越えた古本屋巡り・第3弾:アムステルダム・ヨルダン川地区
世界に鳴り響く「国境なき古本屋」をめざしている。にもかかわらず、なかなか紹介をしない。本気でやるつもりがあるのか、と言われそうなので本企画を練り上げた、その第3弾はオランダにいく。
ブック・エデン店主は、以前の仕事の性質から海外へはしょっちゅう行っていたが、それほど古本屋周りをしたわけではない。つくづく惜しい!もったいないことをした、と「親が亡くなってようやく親を感じた」時とおんなじ感覚を今、覚えている。

ある時、店主はアムステルダムにいた。相手先は休日で誰も呼び出すわけにはいかない、これは常の店主の心得で、いつどこにいようとも、相手をおもんばかる心根なのだ。
そこであまりしたことのない「観光」にふらふらと出かけたのだ。
一度は見ておきたかったのが、かの「アンネ・フランク」が隠れていた、という館である。

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涙もろいので、TVの番組でもマンガででもすぐに、ほろっときてしまう店主は、あの急な階段を見ただけで、ぐすんとなってきた。
後はそそくさと見て回ったが、実に巧妙なつくりの中によく数年間もいたものだ、と感心するとともに、どこにでも名も知れず、そういうすこぶる恐ろしいに違いない行為を助ける人間がいる、そして必ずそれをちくる、やらしくさもしい奴がいるものだ、と思い知らされた。

そうこうするうちに、極度の方向音痴の店主はあてどなく歩くうちにぶつかったのが、今回ご紹介する、うすぐらあい古本屋街なのである。
古本屋、というのは「木」「紙」でできた造りでもいいのだろう、ヨーロッパのそれはまさに>「古書店」なのだ。がっしりした石造りの館のような店があちこちに並び、わくわくしながら回った。

持ちきれないほどの本を久しぶりに海外で買い、いたるところで握手を交わし、店主の本意ではない、「男同士のキス」をひげ面のほおに、2回もし合いながらその街を後にしたのは暮れかかる黄昏時であった。

あの街に行ったら、また行きたいな、と思う、そんな古本屋街がその川を巡る一区画にあったのだ。なぜそこまで思いを入れられるか、恐らくその古本屋街には、多くの古代オリエントの本があり、古本屋自体が古代オリエント時代から生きているかのように思わせる店構えであったからだ。むろん先の大戦で放逐されたに違いない彼等は、その後に来たものに違いないが。

そろそろ、>秋の企画―国境を越えた古本屋巡りを実行したいと思う。ぜひ、ご参加を!
>店主・生橋竜馬
| 2006.09.16 Saturday | 13:23 | comments(0) | trackbacks(1) |
●和食屋エレジー:バンコク「KURODA」
バンコク企業戦士」「経済戦争」を仕掛けた時期、しかもベトナム戦争と重なった一時期に、日本人が造ったような街まであるくらい、やむを得ずわれわれ日本人を受け入れてくれている。ことに中心街の「タニヤ」、その中でも「パッポン」という区域はそれこそ「日本人街」なので、片言の日本語以上のものが飛び交っている。
先の大戦でいい加減に懲りたはずのわが同胞は、「経済」という論理で、切り上がった「円」を武器に世界を駆け回ったが、その東南地域の拠点がここバンコクであったのだ。

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バンコクの和食屋には有名で、なおかつ味のしっかりした店が多い。こんな事情だから、日本人も多く、店主が合弁先との事業を推進する、端っこの方の役目で飛び跳ねていた頃、すでに大使館の近くの「赤門」では、安くて量の多い、しかも味も抜群の「ランチ」が好評だった。
料亭もいくつかあったが、「葵」はちょうど眼鏡の片方のレンズを成田で係官に落とさせられて割ったまんまで接待を受けたのでよく覚えている。

店主が行っていた頃は、もう日本人街も絶好調の時期からは少し落ち目な頃で、農協さんの団体がやたら買い物をして「顰蹙」は買うわ、日本人から段々ドイツ人、韓国人のいずれも「集団」に主役は変わってきていたのではないだろうか。1985年頃から、だと記憶している。

そんな中に、「黒田」という和食屋がある。タニヤに竦む日本人が相手の「飯屋」で、本と金がないな、と思った時に通う店なのだが、そこのおしんこは旨かった。
今ではタイでも「タイ米」だけじゃなく、「こしひかり」が生産されている。飯が食える、ことに「丼もの」が食べられるのがアジアのよさだと思っている。

今思うとなぜ、あの店ではあんなに安く食べさせてもらえたのだろう。
食い詰めた日本人を多く見かけたが、店主とて人様のことを言えた義理じゃあない。
店主は中華街の近くのホテルを常宿としていたが、なんせここは今でこそ「観光ルート」になっているが、英語の新聞もないほどのホテルで、たまにどうしてものこのこと「和食屋」にお出ましになるのだった。

こそこそと隅っこで語り合うわが同胞は、きっと一攫千金の夢破れかけて、ここに巣食うのだ。
そんな光景ですら、今はふと懐かしく覚う。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬
| 2006.09.16 Saturday | 00:32 | comments(0) | trackbacks(4) |
●お待たせしました!やっと「古物商」になったらしいのですよ
今日、親会社の「データ・ガーデン」の通称「大ボス」(体型が大きいのだね、ありゃ)が重い腰をようやく上げて、管轄の警察署に出向き、その足で地域の「防犯協会」に加盟するため、ご挨拶に回ったようで、夕方、「ふふふふ、古物商の資格が取れたぞおお!」と不気味な顔で、笑っていたのだろうね、何となく引きつっていたような顔つきだったが。

ともあれ、めでたいことで主たるカテゴリーは、何でも「アンティーク」のポスター類を販売するんだそうで、それが優先するせいか「美術商」ということになったようだ。
むろん、わが国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」は、相も変わらず「準備段階」なのだが、こうして仲間うちとして「古物商」になれたことは「売買」ができる、ということなので一歩前進である。

古写本の中で、一番の狙いは何と言っても「古代アレキサンドリア大図書館」所蔵の、焼失したといわれている、パピルスに書かれた作品群だ。以前から、この焼失で完全になくなったと言われている所蔵品の行方には大いなる関心をもっていた。
そりゃあそうだろう、もしこの大図書館所蔵の作品群が、完全焼失したとしたら、この2000年後の現在も、相当数の学問的価値のある作品群は、たとえコピーでも読むことはできないはずじゃないかな。

www.newchibaproject.com ... アレキサンドリア図書館跡
270 x 360 ピクセル- 18k - jpg
www.newchibaproject.com


[ことがらは何でも単純に考えた方がいいのだ、きっと裏で持って逃げた奴がいる、いや危険を顧みず業火の館内に飛び込んで、多くの巻物を救った男(だろうなあ、きっと。女性はこんな危険は冒さない。みっともないもの)、そういう男が後世に残るように差配したのだ。
これはただの巻物ではない、まさに「人類の歴史的価値ある」美術品なのだ、ということだ。

「探し屋・竜馬」は実はこんな裏側で隠された、「訳ありの作品群」が大好きなのだ。
それをようやく扱うことができるようになったのだ、みすみす見逃す手はない、と思うのは人情だろう。

ぜひともご期待あれ、わがブック・エデンはこうした「古写本」に必ず行き着くから。

店主・生橋竜馬
| 2006.09.08 Friday | 22:03 | comments(0) | trackbacks(2) |
●amo,amas,amat,amamusu,amatis,amant,こんな勉強なんになる、俺たちゃ哀しい何とかで...
こんな歌が先輩達からの申し伝えで流行っていた。今では知る人ぞ知る、という歌の替え歌で、何番まであったか覚えていないが、それほどまでに嫌気を催すほど、1世紀前の話ではなく、日常の覚えるべきこととして、「ラテン語」はごくふつうの日課(オルド・カノン)である、場所もあった訳だ。

www.worldlanguage.com/ProductBoxShots/459360.jpg




ラテン語がややこしく、ポット出の兄ちゃんたちに受けないのは、格変化の多さに起因する、が、ドイツ語でもフランス語でもそれなりに「格変化」はあるのに、「ラテン語かあ」という白い眼で見られるに違いないという、それこそ「隅っこの死語」のような言いがかりに、大して反論もできないので、よけいに嫌になるのだ。

名詞の「格変化」はお蔭さまで七つある、「主格」「呼格」「属格」「与格」「対格」「奪格」「地格」。まあ、そのうち五つも覚えればいいのだからそんなに苦ではない。それを、「単数」「複数」の二種類に渡って覚える。
日本語をきちんと文法的に「品詞分解」していると、これも「助詞」をくっつけただけの話だと分かるので、そんなに苦ではない。
むろん、格変化は規則的なもので六つ、その他に「不規則変化」が加わるから、しかもよその時代の見知らぬ地域の言葉なので、そりゃあ間違いなく「大混乱」すること、請け合いますが。
言い忘れたが、当然、「性の一致、不一致」は大事なので、「男性」「女性」「中性」とあることもお忘れなく。

タイトルに出したのは、「amo」(愛してますよ)という動詞がいかに数多く変化し、使いづらく、決してまともに「愛してるんだぞ!」とは言えない話を、先輩達から受け継いだ「泣き」の替え歌である。

動詞は、どこの国の言語でもやたら規則があるが、ラテン語じゃ、せいぜい「能動態」と「受動態」に分けて、後は「現在」と「過去」に分ければいい。そこに「直説法」と「間接法」と「命令法」を加えて、1人称から3人称の単数と複数をかければある程度までは完成で、「現在」と「完了形」をきちんと区分けして、そこに「未完了」と「過去完了」、さらには「未来」と「前未来」が関わってきますよね、人間のすることだもん。
もちろん、それぞれに「能動」「受動」はつきものなので、こんな文章じゃあ分かりにくいだけの話ではある。「接続法」はどうしたのだろう。要するにありとあらゆる「苦」を言語に入れ込んだ、「おしおきの言葉」のように見えるのだ、それが一回(二度とはしたくないからだが)覚えてしまうとこんなに美しく、機能的な言葉もない、と思いたい。

こうやって生き残った「ラテン語」は未だに生きているのだ、もしどうしても頭がぱっぱらぱーになるのを承知で人類の生んだ叡智、ラテン語をやってみたいなら、ご一報ください。

店主・生橋竜馬

| 2006.09.07 Thursday | 23:52 | comments(0) | trackbacks(2) |
●渦巻きの思想―古代都市建設に関わる「天文」知識の共有性
こうして「地球村」が狭くなってみると、すばやく方々の貴重な場所を覗くことができる。
まあこの程度のことはちょっと目を左右天地に開いてみると、誰しも飲み込める話ではあるが、店主には「へええ」と思い至ったことである。

都市国家、といっても「東京」や「ニューヨーク」、近いところで「香港」のようにやたらビル群を建て続け、そこを上には高速、また環状電車、地下には地下鉄、という訳にはいかな時代の話だ。
古代宗教の単一的な成立が相当後世の話と考えると、恐らく多神教を奉じながら、またいきなり襲ってくる「外敵」から身を守るため、都市国家の建設は古代のいつの時代にも、またどの地域においても同様の「情況」を抱えている訳で、急務な切実な話であった。

www.asahi-net.or.jp/.../sahara3alger/image3.jpg




そこで今、われわれは至るところに、何度もこの頃話題にする「迷路」のような街づくりを見ることになる。なるべく中に住んでいる人だけには何となく目印なのか、天文的な記号なのか分かればよく、外からやってくる者には、とんと理解に苦しむ街づくりをすればよかった。
それが「迷路」のような街であり、「渦巻き」のように帰納する「都市」の発明である。

幸いなことにわれわれは、あちこちでその残骸を垣間見ることができ、CGのおかげで再現もできる。つまり、その時代にさかのぼった気分になって、「渦巻き都市」を体験できるのだ。

ここでは、建築学的問題解決では測り知れない、意外な共通の基礎がどの街にも残っている。
多神教的神殿、の意義は、思想的に残すものがあれば文字文化として残るが、そうではなく、未知なる測り知れないもの、に対する畏敬の念が、都市国家には反映される。
それが「天文学的」な知識の反映につながるのである。

人類発祥、と言われるアフリカ大陸のさまざまな文化の名残が、口承伝承として残っている。
そこには必ず、天球と人の共生、さらには到底知るべくもない「惑星」「衛星」が取りざたされて、伝わっている。
20世紀初頭に新しい国で発見されたはずの小さな衛星がひとつ抹消されたが、そんな話には程遠い古代人の間では、行けるはずもない遠くに離れた距離に起きた文明の中で、こうした共有項が残っている。
もう少し、人間は「地球村」の一員として、さらに新たに「古代からの地球史」を覗き返してみてはどうだろう、と思う。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬
| 2006.09.06 Wednesday | 10:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
●迷路の地球村―モロッコ・フェズの出口
b>モロッコといえば世界中の誰もが当然のごとく、1942年度ワーナーブラザース・ファーストインターナショナル製作の、「カサブランカ」を思い起こす。老錬マイケル・カーティス監督がメガホンを取り、最終的にはイングリッド・バーグマン扮するイルザハンフリー・ボガードの酒場の主であるアメリカ人リックが主演した名画である。思いはそれぞれなので、これ以上は語るに落ちる破目となる。

今でもモロッコは、ヨーロッパ、恐らくリスボンから最も近いアフリカであり、砂漠と海に囲まれた自然の要塞は、幾度となく侵略されそうな時、その地に生きる人の味方をしてきたものだ。
フェズはどちらかというと、モロッコの内陸にあり、まさにヨーロッパ・アフリカ、などとひとくくりには言えない「文明」の印、「迷路」のごとき「街」を作ってきている。


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多くの人にとって、「迷路」というと、1937年フランス映画の名作、「望郷」(ペペ・ル・モコ)を思い出すに違いない。アルジェの迷路のごとき町並み「カスパ」、そこに逃げ込めば誰も見つけることはできやしない、ジャン・ギャバンミレーユ・バランの共演であった。

むろん国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主は戦後生まれなので、ある時期にこの再上映を観たわけだが、何度も繰り返してみた覚えがある。ここに「大いなる幻影」が加わると、皆さま同様の「わが名作座」となるのである。

フェズは古い町で、中世には当然のごとく都市として機能していた。当時、もう少し下のほうにある「マリ王国」が健在で、イスラム教の「神学校」が1000を越すほどに「教育」に熱心な地域があるほどで、恐らく中世が維持されてその後現在に至る「歴史」を継承できたのは、地道なイスラム教徒の活躍によることが大きい時代であったのだ。

フェズもむろん、イスラム教の町として栄えたが、やはりこの町の特徴はその「迷路」にある。
中に入ってうろうろしているうちにおかしくなってくるのだ、もしかするとこういう街には「地軸」を混乱させる何かがあるのかもしれない。今度また訪問する機会があれば、じっくりと見てきたい気もする。
ダマスカスもそんな街で、きっと「古代アッシリア」の街づくりのおかげで、今もってその面影が残っているのであろう。

「迷路」化された街づくりは、戦火が予測される時に、必ず採用されるようだ。長安の都、のようにはいかない、それがそれぞれの時代精神と相俟っている。
「地球村」を探索する時に、この視点を頭においておくといい。
恐らく、そんじょそこらの観光地を眺めながらカメラのシャッターを切るより、よほど「ぞっと」するほどの威圧感が漂ってくる、むろん人々は一応に「笑顔」であるが。

店主・生橋竜馬
| 2006.09.04 Monday | 14:50 | comments(0) | trackbacks(6) |
●和食屋エレジー・アンカレッジ空港の「うどん屋」
ヨーロッパ方面に旅をしなくてはならない時、今はごく当たり前に「北極」回りを勝手に飛行機は飛ぶことになっている。ヘルシンキがやはり高緯度の関係で最初に、いわゆる「EU」の地に降り立つことになるが、それでも9時間程はかかる。

ほんの20年も行かない前の話だが、羽田からというと「大時代」がかった話となるが、ごく普通に成田からどこそこに行こうとすると、必ずアラスカの地、「アンカレッジ空港」に途中下車したものだ。最初の外国の地である。よほど、機体に故障がない限り数時間の給油で、またぞろぞろと乗り込んで目的地に向かって飛び立つことになる。だから、ごく自然に「20時間」近くはかかってしまった。

ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4250/anchorage.html
[#IMAGE|b0100569_16545079.jpg|200608/24/69/|mid|201|276#]
1ドルがまだ360円の時もあり、持ち出しも10万円と制限があった。航空運賃、おそらく多くはパック旅行だろうが、それでも今の倍以上は必ずしたはずだ。
そんな煩わしい思いをしてまでも、行かざるを得ない事情がそれぞれにはあって、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主もそんな一人に紛れていた。

今じゃ、あの飛行機の中の状態を何と呼んだらいいのだろう、ある友人は「家畜小屋」といい、他の友は「弁当持参だよ」と言っていた。20年そこそこ前、始めて仕事で海外に行くことになった友人には、「保険証持ったかい?」「もしかすると立ち席になるかもしれないから、吊り革を離すなよ」とか「富士山の頂上にな、測候所があるから、必ず手を振ってやんな」と茶化したものだが、しみじみ彼は行ったものだ、「でもすごいですよねえ、食事つきなんですもんね」と。
はっとする言葉じゃないか、何につけ「初めての頃」は初々しいといういい例だ。

要は「Yクラス」に乗るからこうなるのであって、「C」すなわち「ビジネス」以上のクラスに乗れば、こんな「下世話な物言い」にはなりゃしない。

ともあれ、アンカレッジに着くとそこは狭い空港ロビーが人種のるつぼと化していた、ような記憶が強い。日本に持ち帰るお土産もここで帰りに買うことができ、けっこう重宝したし、何より「地べた」にようやく降り立って体を思う存分動かす「快感」はたまらない。

中に、一軒の「うどん屋」があった。確か、そんな大した店構えじゃなく、当然だ、さっさと行っちまう客が圧倒的なのだ、さっさと食べる、店のデザインだのそんな話じゃあない。立ち食い感覚の「うどん屋」であった。
でもうまかった。モスクワ空港の「アイスクリーム」も売っていればの話だが絶品だったが、この「うどん」は格別な味がしたものだ。行く時も帰るときも、日本を代表して旅をする「経済戦士」としての意識もあったから、ある意味「万感の思い」を一杯の「うどん」に託してむさぼり食べた気がする。

アンカレッジは今ではアラスカの玄関口として活躍しているようだ。あの、懐かしい味はもうないが、一度覗きにいってみたい、そんな気がする。

店主・生橋竜馬
| 2006.08.26 Saturday | 14:14 | comments(0) | trackbacks(1) |
■ほったらかされたままの時代を再考証したい、という願い
われわれ人間様がこうやっていいかげんな顔で、ぼんやりと話し合えるのもここ数十年のことで、挙句たかだか数百年もたとうものなら、何がどこでどうしたやら、などと言うことは、はるかあっちのほうの出来事として忘れ去られてしまっている。

何を言おうとしているのか。このままではまたぞろ茫洋なままで終わりかねないが、引き合いを出すと、今でこそ「オリンピア航空」は直行便を出せず、ヨーロッパ経由になってしまうが、それでもあの「ピラミッド」を見てみよう、と思いきや、今日中にはきっとカイロまでは着くことができる。

店主の知り合いの現地人は、若いくせにギザで日本人相手に「お土産屋」まで開いて、よけいな事故さえなければ懐に入る何がしかは、見当もつかない。

その「ピラミッド」ですら、いわゆるAD―紀元後数百年もたたず、交通の便も悪いし、ローマが東西に分かれて「文化圏」すらその手に収めたせいか、すっかり忘れ去られてしまった。
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主は、故矢島文夫先生晩年の押しかけ弟子であるから、一応は古代オリエントの文字・言葉を専門とするが、惜しむらくは「旧約」を読むはずの「ヘブライ語―ヒブル語」すら、恐ろしいことに読める人がいなくなって久しい時期があったのだ。

人間の歴史の中で、むろん中学・高校レベルの話で十分なのだが、「地球史」の中で4〜500年って、文明の変遷すら起こるのだから、誰がいつどこで何をなぜしたのかしなかったのか、が分からなくなっても不思議はない。

この十数年、気になって仕方がなかったのが、ヨーロッパでいうルネサンス前の、いわゆる最初の「ミレニアム」前の時期からの事である。わが国で言うと、平家が終わって鎌倉もおかしくなって、何となく戦国時代に突入していく、統一前の話、ということになる。ま、もともと「資料」が少なすぎるのだが、ブック・エデンはここにも注視する。


homepage.mac.com
[#IMAGE|b0100569_22494966.jpg|200608/21/69/|mid|140|93#]
おかげさまで「ラテン語」は読めるし、「ロマンス語」にも不自由はしない。わが国の「古文」をまさか読めないはずもなく、この辺では両者を横串に刺して、平行に眺めていくことはできそうだ。
店主は中高時代から、歴史は「日本史」「世界史」と分けて読むから、妙に記憶するしかなく、どっしりとした「現実味」を感じることができないのだ、と思っていた。

大學受験もこの両者で勝負したが、ちょうど今頃、だ。亡き親友の「M.M君」と学校に泊り込んで、最後のクラブのご奉公だ、と相変わらず合宿をこなしていた。高3になってまだそんなことにうつつを抜かしていることが学校にバレルと、妙なのが飛んでくるから、事前に校長に頼み込んでおいたものだ。たまたま幸か不幸か両親は入院生活をしており、店主はそういえばあの会澤校長から、お小遣いをもらっては辛うじて生きていたように思う。

ともあれ、世界中の中世を、広すぎるなら1000年を区切って再考証してみるのもおもしろい、と思っている。出版企画にも使えるかもしれないな。
ちょうど「正統か異端」かがどこでも論じられた頃だが、そういう話はおいといて、もっと引き込まれるようなエロチックなできごとを文章化した事に終始したい、と思う。

店主が書くことだ、残念ながら当時であれ「サブカルチャー」は苦手で、やはり真っ向から「文明」そのものの意味を今と比較しながら書くことになろう。読んでくれますか?

店主・生橋竜馬
| 2006.08.22 Tuesday | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
■時を超えて流し目を送る、「世界の図書館」探訪す!
以前、国文社が発刊した『ヨーロッパの歴史的図書館』という書を眺めていたことがある。著者は旧東ドイツに生まれ育ち、当然成り行きから「ベルリンの壁」崩壊を目の当たりにした、ヴィンフリート・レーシュブルクという文化人である。訳者は宮原啓子+山本三代子、1976年ドイツ滞在中の産物である、とあるが、わが国での出版までに10数年を擁している。
得てしてこんなものだが、資料的価値の高い書籍であるにもかかわらず、どうせなかなか売れないと踏まれて、ようやく出版してもらったのだろう、版元に喝采。


ttp://www.kokubunsha.co.jp/archives/ISBN4-7720-0390-8.htm
本書ではヨーロッパ15カ国に現存する49館の歴史的図書館が、モノクロの写真とともに収められている。ある意味では、このモノクロの写真だからこそ迫力があるのだが、店主ならカラーにした。それができなかった事情が著者とお国柄にあるのだ、と思うから残念で仕方がない。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」はこういう歴史的に見て美術的にも博物学的にも資料的価値の高い書を、いずれ出したいな、と思っていた頃、およそ5〜6年前の発見であった。

図書館の成り立ちとその意義が最も力を発揮したのは、ルネサンスの事だと思う。が今と違い、広範囲に何でもかんでも収蔵できる能力も、また、書物そのものもなかった。

この書に誘発されたせいで、どうしても「世界中の価値ある図書館」を集めてみたくなった。
むろん残念なことではあるが、どこをどうしたところおで「お持ち帰り」はできそうにない。
もしかすると、既にこうした上物も中身もすばらしい「図書館」は、その状態をきちんと保存すべくデータ上に集められているのかもしれない。

博物館や美術館と並んで、歴史的価値のある「図書館」は、きちんと保存されるべきであると同時に、映像やデータで保存するべきである。
店主に力を貸してくれるTV局があれば、すぐにでも「世界の資料的価値のある図書館探訪」のための特番用の企画書を用意する。
むろん店主は黒子でいいのだが、ぜひこの企画、何とかモノにしたいな、と強く願うばかりである。

皆さんのご支援をお待ちします。
店主・生橋竜馬
| 2006.08.22 Tuesday | 13:03 | comments(0) | trackbacks(1) |
●ひたすら、ただただ生きる―「原爆」を落とされた事実をかみしめる
毎年、この日この時期に「先の大戦」のもたらした「影」を見る。今月の6日には「広島」に、9日には「長崎」に結果的には勝利国の「最終兵器」により、わが日本はその後数十年経過した後でも唯一、「原爆」を落とされた国である。
むろん、わが国でも「二号兵器」として「原爆」の研究は細々となされていた。幸か不幸か、「精神論」が勝ったせいで、実際に「原爆」を作り出すことはできなかったが、でも「研究」は始められていた。


ttp://history.independence.co.jp/ww2/phtop.html
多くの議論があり、そして風化しそうな「戦争」に対する「抵抗感」も、カンボジアにイラクにと、かつての「戦勝国」「盟友」として音頭をとって軍隊としての「自衛隊」を送り込んできた。
どういう遺伝子構造なのか、知りたくもないが、きっと「ヒト」を含む「生きとし生けるもの」には、たまたまそこを通りかかる相手をねじふせないと気がすまないのだろう。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」を始めるに当たって、店主・生橋竜馬は誓ったことの一つに、この硬っ苦しくしかも次の世代からは「ダセエ」としか言われず、「ふん」と鼻で笑われそうなこの「不戦論」問題を、せめてこの時期に取り上げることとした。

意味付与なぞはどんなことに対してもできる、先取りしようと後付でいこうと、ある行為、思惟にはどんな正当化もできる。だからこそ、戦後生まれのわれわれは、「ア・プリオリ」(自明のこととして)に、「戦争放棄」を誓うのだ。
そう、唯一「原爆」を落とされてどんな悲惨なことが起きてしまっているかを体験し、まだまだ「被災者」の方は生きて苦しむ状態を引きずっていかなくてはならないことを、新聞記事で知る程度でよし、現実として知っているわれわれとしては、どんな理由をこじつけても「不戦論」に徹するのだ。

やられる前にやっつける、単純明快な論理が特に戦後「盟友」から持ち込まれた。しかも意図的に。「コカ・コーラ」「チョコレート」をついでとして、おかしな「論理」が当たり前のこととして、息づいている。それも数十年経てば、もともとこうした「論理」はわれわれには固有の考え方としてあったかのように思いがちになる。

日本語の論理に、こういう「肉食人種」が使うような「論理」はない。言語・言葉・文字をみれば歴然として分かることだが、いつもじっと待つ思想が横たわっているのだ。われわれ「農耕民族」は、「ひたすら、ただ生きていく」という平凡さを心の奥底に抱いて「生きる」。

あえて言うが、「原爆」を持っているからこそ「リスク回避」になる、という論理もわれわれには理解しがたいことなのだ。どんな理由づけをしても、一見「説得力」があるように見える「論理」にはついていかない。
そうでもして決めておかなければ、「原爆」を落とされて苦しんだ仲間に対して、何が言える?

店主・生橋竜馬

| 2006.08.18 Friday | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
■君は「グーテンベルク」を知っているか?
中には、4泊6日の「ドイツ・ロマンス街道をめぐるの旅」に参加した思い出から、中性の田舎街を思い浮かべる人もいようが、この「グーテンベルク」こそは列記とした、15世紀・ルネッサンス運動の中でひっそりと活躍しかねたある「男」の名前である。

しつこいようだが、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」は紛れもなく、古本屋なのである。どうしても居丈高に宣言するような言い方をせざるをえないのが哀しいが、なに、あと少しで「免許―古物商」も下りるに違いない。だからこそ、「古本屋」であり、店主・生橋竜馬「古本屋の親父」であることをとても誇りに思っている。

また、何度も言うが、「文字文化の継承」を大きな声で叫び、「一大運動」に発展させようかともひそかに狙っている。そして、こういう「継承」を叫ばざるをえなくさせた、「大量複写機能」、すなわち「活版印刷」を生み出した人物こそが、この「謎の男・グーテンベルク」である。


ttp://www.ebj.gr.jp/a03.html

こらこら、もうあくび、とはひどいな。ま、このへんのいきさつは、ブック・エデンでも販売するが、「謎」「トレジャー・ハンター」を志す店主としては、あながちほおっておける話でもない。
いずれ、ブック・エデン得意の「オン・デマンド印刷」で一冊書き上げてみようか、とも考える。

中世はどこの国でも、それそのものが資料生に乏しく、「謎」が多い。だからこそ、これから店主の活躍の場が与えられているのだ、とも思うのだが。いずれにせよ、この時代、大學の認める学問は3学科4学科、すなわち「文法・修辞学・論理学」か、「算数・幾何学・天文学・音楽」と決まっており、そばにある「本屋」がこの教科書を「写本」術で制作していた。

この後、こうした一部の「聖職者養成コース」にいるものだけが学ぶ「学問」の教科書ではなく、まさに一般大衆がすぐ読める素材として、グーテンベルクは「聖書」を選んだのだ、という定説であるが、本当だろうか。何年もかかったはずの結果、一番社会が受け入れ易い素材、それが「聖書」ということになったのであろう。
このくだりの一部はまっかな「嘘」で、まさか「一般庶民」が誰も彼も文字を読めるはずもなく、確かに「普及」と「大量複写」の原点にはなったが、当初手に入れたのは、「一部特権階級」であったに違いない。むろん、その効果は、ヨーロッパ各地で「印刷屋」業がいきなり増大した、という事実に現れている。

哲学者フランシス・ベーコンはその著書『ノヴム・オルガヌム』(1620年)の中で、ヨーロッパに新しい時代をもたらしたものとして、「火薬」「羅針盤」と並んで「活版印刷術」を挙げている。
実際、この『42行聖書』なり『31行聖書』は出版前から大いに話題になっており、他の印刷物と一緒にずいぶん注文がきたようだ。
が、グーテンベルクに資本的「力」はなく、身に沁みる話だが実際、実験段階から本格的な印刷に入るとき、ヨハン・フストなる人物が関与し、結果的には商いの勝者として持って行ってしまった、と言っても過言ではない。

店主も幸いに恵まれ、以前この聖書を見たことがある。初版ではなく、1580年頃、フライブルクで印刷されたもの、と聞いた。しかし見事な「出来栄え」で、その装丁にもうっとりした。
じっくりと、今の時代に氾濫する当たり前に大量な「書物」を作り上げた男―「グーテンベルク」は必ずどこかに「謎」を残しているはずだ。それをじっくりと探してみる。

店主・生橋竜馬


| 2006.08.18 Friday | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
■世界の絵本館・オズボーンコレクションとの邂逅
カナダのトロント市にある「公共図書館」には、この「世界の絵本」を収集したエドガー・オズボーン、メーブルの夫妻が寄贈した約2000冊(現在は所蔵が増える一方と聞くが)、原画900点の「オズボーン・コレクション」がある。


ttp://collections.ic.gc.ca/osborne/colouring/colouring.html

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主としては垂涎の的でしかないが、初めて社会におん出され、仕方なく生きていくかなと思っていた頃、ふとした偶然から、なけなしをはたいて「復刻版」を手に入れたいきさつがある。
そして、20数年の間、店主の「オズボーン・コレクション」は店主のいる納戸の中の片隅に眠っていた。
たまたま、「赤毛のアン」の研究者がこのトロントにいる、と聞きつけ、「文化事業」の一端に企画するかな、と思いつつやりとりしているうちに、ふっと思い出したのだ。
店主は企画屋として、なぜか「展覧会」の企画に手を出し、いかなる理由からか、手塚治虫先生や、石の森章太郎さん、水島新司さんにちばてつやさん、里中満智子さんなどといった歴然の「ストーリーマンガ」家に始まり、ディック・ブルーナ氏の「ミッフィーちゃん」、そしてミルン・シェパード両氏のかの「クマのプー」といった、子供も、かつてのこどもも楽しめる作家と作品の「文化事業」をお手伝いしてきた。

だからこそ、やはりこの「オズボーンコレクション」を眺めると、いろいろなことが頭をよぎってくる。「絵本の原点」とは何であろう。おおげさに言わずとも、まずどの国でも地域でも同じ効果を狙う。すなわち、「文字」が読めなくても意味は理解できる、そのために「絵本」は開発されたのだ。
いわゆる「教育」という「お仕着せ」は、客観的妥当性のある基礎概念だけを教える、には留まることがない。「読み書き算盤」ができて、「漢字」「かな」がそこそこ書ければわが国では生きていける。
同様なことは全世界に起きたことだし、今もそのとおりなのだ。
そこに、「絵本」の持つ思想伝播の役割は大きい。

そういう大人の世界の、ぐじゃぐじゃしたわけありなしがらみは取っ払って、古典的価値のある「絵本の世界」を堪能できる、それが「オズボーンコレクション」である。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.31 Monday | 11:20 | comments(0) | trackbacks(1) |
■どっこい!生きている言語シリーズ(1)―ラテン語
2002年通貨統合をなし、正式な「統合欧州」(通称「EU」)が始動したことはもうすでに古い話に感じられる。この時、通貨ことに紙幣の表面にどの国の言葉を載せて表現するか、という問題に対し、ある人々は「ラテン語で!」と言い募り、またある人々は「ラテン語で表現するくらいなら、白紙で!」と叫びあった。結局は、すべての民族の言葉を載せられない以上、絵だけでいいや、ということになったはずだが。
そこまでしてなぜ「ラテン語」は嫌われるのか、知りたくもあり、悲しすぎてそむけたくもなる話ではある。


The Coronation of the Blessed Virgin Mary in Heaven - the fifth of the Glorious Mysteries (linked into the Hail Holy Queen prayer)

Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Iesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus, nunc, et in hora mortis nostrae.

このシリーズでは、「現代少数派言語」を中心に、国境ある「世界」で使われているその地の「言語」を取り上げていきたい。
「文字文化の継承」を謳った以上、いつか必ず通る「地球社会」の道である。そしてその道は、いつか必ず「ローマ」に通じている、と信じた結果、今日に脈々と生きる「人」の使う「日常言語」ができあがったのである。
その第一回が、今日まで毅然として生きている「ラテン語」なのである。
ぜひ、一読し続けてほしい「シリーズ」となることを、店主・生橋竜馬も期待している。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬も、ある種の偶然からヨーロッパの子供並に「ラテン語」と「古代ギリシャ語」を、ぶううっとした顔で「やらされた」。
と人には言っているのだが、実は「古代」「古典」にはなぜか抵抗感があまりなく、むしろ「ラテン語」なぞは美しい、と思いながら学んだものだ。
むろん、あの「変化」「活用」の多さには閉口したが、これも何となく中学の頃、年老いたおばあちゃん「シスター」達のいい「おもちゃ」になっていたことがあり、言うほどの苦労ではなかったのだ。

ともあれ、ローマ字で書き表せる「ラテン語」はいまだに「死語」ではない、と言うことを言いたい。
中世までは正式なことを言いたければ「ラテン語」で物を言い、普段ぺちゃくちゃと話す言葉はいわゆる「俗語」であった。次第に「俗語」がその国の「公式語」になっていくのだが、その辺は調べて見るとおもしろい。

われわれ店主の世代は、小学校で、「ローマ字」を教わった。「エスペラントの運動」が今ひとつだったため、なぜか「日本語」を「ローマ字読み」するだけに留まったが、「ラテン語」もこんな手合いだ。
つまり、子供語として発達した「フランス語」や「スペイン語」、兄弟関係にある「ドイツ語」などには、補足記号として、「アクサン」とか「ウムラオト」が文字そのものに付随して、読み方自体を変えてしまっている。
そういう機能的変化をもたらして「独自性」を強く押し出した「近世以降の言語」と異なり、「ラテン語」はまさに「ローマ語」なので、そのまま「読める」。
さほど妙な「音」の差異を感じることもなく、すんなりと読んでいけるところに、実は「落とし穴」は待ち構えていた。
相も変わらず、われわれは、「バベルの塔」の支配から免れていない証左である。

中でも美しい「ラテン語」で演説をしたのが、「キケロ」である、また後世に及び、「エラスムス」のそれも美しい。一番の引き合いに出すべくは、「シーザー」と、意外かもしれないが、「夏目漱石」と店主は思う。
「ブルータス、お前もか」とのたもうた「シーザー」の「死」の決別に当たっての台詞は「シェイクスピア」によって千数百年後ようやく、広く知らしめされた。

話は違うが、わが国では「ラテン語」が漱石の「我輩は猫である」で、訳知り顔の「苦沙弥先生」がやり込められるくだりに、辛らつな比喩として紹介されている。
一度読むといい。

「ラテン語」の文法的変化は8段階ある。ドイツ語が4つなのだから、恐れ入る。
わが国の言葉では、名前であれなんであれ、その語が語尾変化するような無茶はないから、「古本」は「古本」であり、所有格が「フルホヌム」となる理不尽はない。
それがごく当然のごとくあらゆる言葉にかかわってくるのだから、油断をすると大変な目にあう。

時代とともに「毛嫌い」されている「ラテン語」であるが、実は生きている。そうそう言っておくが「南米」のラテン民族、というような形容に使われる場合の「ラテン」もむろん「ラテン語」の「ラテン」からきたのだが、意味をなしているわけではなく、雰囲気を伝えているに過ぎない。
ともあれ、嫌われてどっかにいっちゃえ、と思っている向きのほうが多いこの「ラテン語」は実は死んではいないのだ。
ありとあらゆるところで、「ラテン語」から派生した言葉、あるいはそのものが使われている。
多くは、今後店主が詳しく話していくが、どっこい「消えてなんぞ」いやしないのだ。

ここら辺で第一回を終わる。生きている「ラテン語」第二回をお楽しみに。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.31 Monday | 11:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
■アンティック・ポスターに狂喜乱舞する店主!
ここ数日間、別のプロジェクトに首を突っ込んでいた。「アンティーク・ポスター」の販売を始めるプロジェクトが、親会社のほうで立ち上がり、「物知り」の店主がオブザーバーとして呼ばれた、という訳である。
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」は「古本屋」である。世界中の「古本」をわが国の中に、またわが国の誇るべき「和綴じ」の本を世界に紹介し販売する、という姿を描いている。だから、割と新しい分野にはいる「アンティーク・ポスター」と言われても、多少の知識しかない。数百枚の「ポスター」を前に仲間と眺める点では、皆さんと同じような立場にあるが、それでも企画屋の端くれとして、「本物」の良さを見ている点で呼ばれたのであろう。

この「アンティーク・ポスター」は本体の「データ・ガーデン」が直接担当するので、そのうちきちんと「サイト」上に出てくるはずだ。かなり楽しみにしていただいていいんじゃないだろうか。
名の通ったところでは、シャガールがある、スーラがあったしウオホールのデビュウ当時の作品がある。むろん、長く「アート・ポスター」系のお店を展開しているところと較べれば、せいせいが100数十点の話なので、勝負にもならないし、また邪魔にもならないだろう。

店主が一瞥した限り、特に「おや、これはすごい」と感動した作品が数点あるので、ちょっとだけご紹介したい。それは1960年頃に制作されたパブロ・ピカソのオリジナルのリトグラフによる作品である。
もちろん職人さんは、パリのムーロの手によるものと、ピカソ自身の手によるものがあるのだ。
残念ながら「サイン」はないが、作家の中でもピカソには珍しく「ポスター」の「レゾネ」があって、そのドイツ語版を眺めながら確認をした次第なのだ。

1960年5月にパリで開かれた「平和のための」の運動の集会用に自身がてづから作り上げた作品である。店主は、あえて「作品」と呼ぶ。
思うに「ポスター」というのは「看板」を当時では大量にばらまき、宣伝効果を大きく狙い、告知に役立った「媒体」である、だから非常にサイズが「大きい」のが普通なのだ。

紙の質感といい、今や職人さんも、大量印刷をオフセット任せにしたせいで、大きさからも制作の手段がないわが国では、貴重な記念すべき「作品」なのである。
ぜひ、楽しみにしていただきたいし、「データ・ガーデン」のサイトで購入をお勧めする。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.31 Monday | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
■シリーズ・地味目な美術館・博物館:イスタンブール「国立考古学博物館」
小さい頃、「これは何千年も前の『ヒト』が使った、瓦礫なんだよ」と、石ころを見せられて、「へええ」と目を輝かせたことがあるとしたら、それは相当に「風変わりな」子供に違いない。
「おもしろくとも何ともない」退屈な「跡」こそが、考古学的遺物なのだが、そこにたくましい想像力を働かせ、数千年前の先達の生き様を読み取ってやろう、という気になるのは、どういうきっかけからなのだろう、と思い巡らす。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬が、漠然と「古代オリエント」の時代を垣間見るきっかけとなったのは、今回ご紹介するトルコイスタンブールにある、「考古学博物館」のおかげもかなりある。



この地味な「博物館」に店主は、3度ほど足を運んだ。最初は、もう20年以上前の話になるが、デュっセルだかパリだかでの打ち合わせの後、どうしてもコンスタンチンノープルに行ってみたくなり、ふらっと出かけた時、のことになる。

当然、トプカプ宮殿やら大好きな地下宮殿(といったっけ?)をちらっと通り過ぎ、バザールで知り合いの店をからかい、そして「考古学博物館」を訪れた。
いつ行ってもそうなのだが、この博物館は喧騒から隠れたようなたたずまいをしており、どう贔屓目に見てもそんなたいそうな「博物館」には見えないのが「味噌」である。

何度か改築もしたようだが、ここには「ヒッタイト」の地味な「文字遺物」が整然と展覧できるようになっている。北海道沖の大地震があったときなど、ここに集まった人たちからずいぶんとお見舞いの言葉をいただいて、思わず店主は「領事」か「大使館員」の代わりをしたような思いでもある。

「ジェンダー」という耳慣れない言葉で、特別な女性中心の展覧会をしようじゃないか、という話を聞かされたのも、何回目かのこの博物館でのことであった。まだ、日本では「男女雇用均等何とか法」が施行される前の話であり、店主には茫洋としたつかみ所のないイメージしかなかったのだ。
相手の副館長、学芸員がいう、観念的な「男女同権」ではない現実は、ややもするとその十数年前に沸き起こったある種の「運動」の一部を思い出させ、逡巡した。

今でもこの博物館には特別な思いがある。さして十分な設備とはいえない環境の中、ましてや片隅の研究を地道にすることの意義、を強く思い知らされたからだ。

いつでも行ってみたいか、と聞かれれば即座にすぐにでも、と言えるそんな博物館が世界にはあるものだ。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.13 Thursday | 16:52 | comments(0) | trackbacks(1) |
●店主はアンリ・ファーブルの「植物記」もお薦めします!
恐らくもうじき、旭川の博物館から始まって、全国数ヶ所の自然博物館とか、美術館、博物館を巡回する『アンリ・ファーブルの展覧会』が開催されるはずだ。
実は国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬も昨年まで、この企画の実現のため、ささやかなお手伝いをしていたが、途中で生業を変えたため、当日現場でわいわいやる立場にはなくなった。


ttp://www.e-fabre.com

以前の友人達が懸命になってその実現を目指している、ものと思う。この企画には実は伏線があって、「アンリ・ファーブル」研究の第一人者、奥本大三郎先生を中心に「アンリ・ファーブル記念館」―『虫の詩人の館』が今年3月正式に開館したこと、それを記念して、昨年末から友人がいる集英社で創業80周年なんだそうだ、完訳『ファーブル昆虫記』が出版され始め、展覧会企画も俎上に乗った、という訳だ。

店主は、虫がそれほど好きな訳ではないし、どうせ女性「虫好き」にはお目にかかるほうが珍しいと、思うくらいなので、果たしてそうでなくとも渋い「文化事業」企画としてはどうなのかなあ、と思っていたが、さすが知名度が違う。
とにかく実現はめでたいことだ。
ただ、店主は「ファーブル」は博物学者という認識があり、庭に24時間生き続けている『植物記』のほうにも多大な興味がある。

もちろん、『植物記』のほうが地味で、まさかヨーロッパの片田舎に「食肉植物」が多い訳でもないから、じっとしているだけで、どうも絵になりにくい。
それでも、植物は「虫」と伍して「人類」より長生きをしている。その生態も種々であり、生命力は、アスファルト・ジャングル、と言われる大都会のなかですら力強い。

ブック・エデンにはカフェ「BOTANICA」という「薬種茶・植物に関する古書」を「取り扱うカテゴリーがある。
そこではこうした珍しい植物に関しての資料を多く集め、販売することになっている。
そして、このカフェ「ボタニカ―BOTANICA」もこのブック・エデンからは出て行って、独自の展開をすることになっている。寂しい話だが。

現代ボタニカル・アートではなく、歴史的背景のある、「BOTANICA」を店主はひそかに展覧会事業として企画するつもりではある、乞うご期待!

店主・生橋竜馬
| 2006.07.13 Thursday | 16:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
■古代シュメール人から継承した「はんこ社会」をどうみる?
今や世界中で「はんこ社会」というのはわが国だけではないだろうか。「象牙」「黒水牛」「柘植」「黒曜石」、果ては「プラスチック」「機械彫り」と、隔日の感はあるものの、「三文判」やら「シャチハタ」まで含めても、延々と続いている。



円筒印章
イラク 4,000年前
(財)古代オリエント博物館

この光景を西欧人は、「遅れてやんの」とせせら笑いながら眺めているようだが、果たして1000年ほどしか経っていない「新参者」の連中にそんな「浅墓な」文句を言われる筋はあるのだろうか。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は専門が「古代オリエント」なので、こういう中途半端な批判には、ついむらむらっとしてしまう。
むろん「漢字文化」はお隣の中国から入ってきたもので、一部の特権階級の間ではお隣でも「はんこ文化」は着実に根付いていた。わが国ではそれが広く一般の家庭にまで普及したのだ。その発端は、せめて1400年程は経っているもので、その辺の中途半端な「まぜこぜ文化」を抱えてきた者どもに言われる筋合いはない。
もちろん、社会的地位の高い人物は、「花押」という「漢字のサイン」をしたもので、何も声高に「西欧人」に笑われることでもない。

最古の「はんこ」は、「幾何学模様」を図柄にしたもので、およそ7000年程前の「北シリアの遺跡」から出土している。それを着実に継承したのが、「謎」の民族、「古代シュメール人」である。当初、動物や人が描かれていた「スタンプ」は、次第に貿易上の封緘に用いられるようになっている。
これが「円筒印象」と呼ばれるもので、なじみ易い形状と機能を持っている。
なぜか、「ヒッタイト」には受け継がれていくが、「古代エジプト」では流行らなかった。恐らく、「粘土板」「パピルス」という基本的素材の違いからであろう。

わが国は、この「古代シュメール人」が広めた「はんこ文化」をちゃんと継承している。店主は、このブック・エデンを開店するに当たり、「文字文化の継承」と言ってきている。
古臭いかもしれないが、公的な機能をなさしめるとき、「はんこ」が必要となる文化は、6000年の歴史を有しているのだ。ここでも店主は、やはりわが「日本人」「古代シュメール人」がどうもよく似てるな、と思ってしまうのだ。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.12 Wednesday | 19:52 | comments(0) | trackbacks(1) |
●緊急!SFイラストの大御所:武部本一郎と加藤直之の「複製画」が出た!
親会社というか、運営会社というのか、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」には法人格として、螢如璽拭Εーデンhttp://data-garden.comがある。
今や店主はグループのような何軒かの「店」のひとつになった。多くの可能性を集約するにはこれも然り、である。



武部本一郎作品 初出出典「火星の幻兵団」東京創元社1966.3
290×265mm

ところで、君知るや日本の「SFの世界」を限りなく広げてくれた大御所の存在を。名を「武部本一郎」という。お父上が「日本画家」であったことから、必然、その才能は「日本画」の影響から「洋画」に進み、その後すばらしい「イラスト」に開花した。
知らない人にはこう言おう。今やどの書店でも次第に押され気味ではあるが、「創元SF文庫」「早川SF文庫」シリーズで、エドガー・ライス・バローズの作品群、そうねえ、「ターザン・シリーズ」やら「コナン・シリーズ」を語るとき、武部画伯を抜きにしては語れない。

先駆者・武部画伯に継いで現在も「SF画家」として活躍中の加藤直之は、多くをモニターの上で制作している。「美女・メカ・パワードスーツ」と副題のついた、自分が楽しめる本を、今回店主友人の「ラピュータ」という出版社で武部画伯の「画集」ともども出版した。



加藤直之作品 初出出典「加藤直之画集掘彡日ソノラマ1987.7)
  296×250mm

その「複製画」が手に入る、という話である。店主の所属する「データ・ガーデン」http://data-garden.comでは「緊急ご案内」として、ふたりの巨匠の「複製画」をご紹介している。
どの世界にもパイオニアはいるもので、こうした紹介をすることは、店主も楽しみである。
ぜひ、ご一読あれ!

店主・生橋竜馬
| 2006.07.12 Wednesday | 19:37 | comments(0) | trackbacks(1) |
●和食屋エレジー:コペンハーゲン・北欧で一番老舗の「和食屋」
40年ほど前のこと、ある若い青年が北欧で「空手」を教えながらぶらぶらとしていた、という光景を想像してみるといい。
時はまだ昭和の40年代、海外に日本人の姿を求めても、外交官か商社マンぐらいが見かけられるくらいで、果てはこうした日本の現状に嫌気をさした若き青年が、「ヒッピー」まがいの「流浪」をしながら、何となく「デラシネ」風にその日暮らしをしていた。

今や「レストラン トウキョウ(東京)」といえば、デュッセルドルフの「日本館」と並ぶほどに歴史とその豊富なメニュー、しっかりとした味が余りにも有名である。
片方の「日本館」は、開業以来ヨーロッパ以西で苦心惨憺な思いで、「日の丸」を背負った「アニマル・モンキー・ジャップ」を心から癒す場所として、同様なご苦労は山のようにあった、と聞く。



ttp://www.gnavi.co.jp/world/europe/copenhagen/w343020/
コペンハーゲン「レストラン・トウキョウ」も、不思議な経歴を持って今に至っている。実は、「空手青年」君がコペンに来てしばらく過ごしている間に、既にこの「和食屋」は営業していた、という。
当時、40年以上も前に、既にいい年をした「おばあちゃま」が、ぼろぼろの「和食屋」を営業させており、そこで付け焼刃の素材を加工した懐かしい「日本の味」を、半ば命がけで商売戦争に来させられたわが先達の同胞を感激させた。

そのおばあちゃまから、「この店を引き継いでやってってくれないか、私はもう年なんでね」
と懇願された時は、さすがにびっくりしたそうだ。
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬がこの店を訪れたのはもう10年も前のことになるか。
安い、といわれる「ワイン」をラッパ飲みしながら、夜更けてまで、そういった経緯をお聞きした。

店主が訪れたとき、食事をしていた若者がいた。どんぶり一杯の「天丼」に何人かがむしゃぶりついていた、食後、若者達は「オスッ!」と空手の挨拶をして帰って行った。どうやら、小さい頃ここのオーナーが教えた「お弟子さん」なんだそうな。その中のひとりは、その当時すでに「ヨーロッパ3位」の実力者なんだそうで、とてももうかなわない、と笑っておられた。

この店には、多くの「日本画」が飾ってある。お父上が画家であるそうで、送ってくるんだそうな。無造作に、唐紙と一緒に本物の「日本画」がそここに展覧してある。
オーナーの人柄をよく表している、絶品の味とともに、ほっとできる「和食屋」である。

世界のどこかで、こういうきちんとした「日本」を背負って生きている人がいる、そのことに店主は痛く感動するのである。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.06 Thursday | 16:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
●脇道話・その(8):「陶芸家」と「陶器屋」の哀しいへだたり
先輩に「備前の若手?中堅?陶芸家」として昨今巷をぶりぶり言わせている星正幸氏がいる。この辺になると何となくは社会的に認知された「芸人」のようなものだろうから、実名でいく。




「プレート」高3.0 径26.0×26.0僉1998年
(備前焼ギャラリーこう 個展DMより)

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は親父が哀しい陶器屋の金職人で、くわえて母方が岐阜県は多治見の志野焼きと三重県は四日市の万古焼きの両方の陶器屋をやっており、じいさん、叔父貴達どれをとってもしがない陶器職人ばかりであった。

だから、星先輩が何だか知らないが、備前焼きの「陶芸家」になる、おそらく本人は職人気質の焼き物師にでもなるつもりであったろうが、いかにも店主には「陶芸家」を志す江戸っ子のように見えたし、しっかりと「ふん」と鼻で笑った記憶がある。

もうどうでもいいようなことなのだが、まだ父母ともに存命であった頃は、やはりこんなものになるもんじゃあないな、と強く思ったし、お蔭様でその方面の「手際」とか「才能」ましてや茶碗の良し悪しなんぞわかりゃあしないもんだから、ならざるべくして、「陶器屋」にはならなかった。

きっと強いひがみなのだ。親父はその出生においては「謎」だらけであり、生き様もよくは知らないままになってしまったが、仕事っぷりは単純であった、と思う。
父を知る人からよく「あんたの親父さんは『金』を引かせるとすごかったなあ」と聞き、
何がそんなにすごいのか、見知ってそんなものかと思ったことがある。要は人の何十倍も薄めて「金筋」を引いただけのことなのだ。
確かに絵もそれほど上手くはなかったし、そこだけに生きる「道」があったのだろう。

星先輩は恐らくもっともっと評価が高まり、「備前焼きの星」(スター)として世界に打って出ることと思う。片や、華やかな「陶芸家」そしてひっそりと死んだただの「陶器屋職人」の哀れな差異がここには歴然とある。
惜しむらくは、こうした光景は他の伝統的品つくりの世界にもあふれているような気がする。
だからこそ、ブック・エデンの運営会社(株)データ・ガーデンでは、この見過ごされそうな伝統的「技の品」を扱うのだそうな。世界に向けて。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.06 Thursday | 15:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
●道端に佇む―ロワールの城下町「アンジェ」郊外のバス停で
「天使の庭」と呼ばれて不思議を感じない、フランス・ロワール地方「アンジェ」という古城を抱く街に友の実家があった。家柄は古く、600年ほどの「家系図」を拝見したくらいだから、ヨーロッパの中では本物の家柄である。

Angers - The towers (40 to 50 meters high) of the castle (XIIIth century)
ttp://www.welcometofrance.it/Loire/Intro/intro2.uk.html

この地方が、「天使の庭」と言われて誰はばからず認めているのは、本当に美しく耳障りではない「フランス語」が使われているからだ。だから、たとえ本人がいくらがさつであれ、その言葉が耳心地のよい響きをするものだから、さも美しい人間そのもののように見えてしまう。むろんロワール河流域に、意外に威風堂々と君臨する古城がある光景がよけいに美しい景観になって、こんな表現をされているのだろう。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は、この地を2,3度訪れている。むろん一番の想いが強いのは、友の家にしばらくの間滞在した時のこと、すでに30年ほど前のことになってしまう。
この時、店主は勤めている会社を辞めてでも、幼少時お世話になった恩人を捜すため、パリを拠点にアイルランドで捜し回るつもりであった。
結局、尋ね人はすでに日本に向けて帰国してしまい、惜しくもすれ違った後、との事で、久しぶりなのだからと、ドイツのケルンに行き、そしてこの地を訪れたのだ。

冬の寒い夕刻のこと、店主はあちこちを散策しながら、バスで戻るつもりであった。バス停にはちっちゃい男の子がひとり、夕餉の買い物をして帰るところだったらしい。名前を、ミシェルという。「バスは来るんだろうか?」「さあ、来ると思うよ、でも時間はわからない」「君は待つの?」「だって歩いては帰れないよ、荷物もあるし」「そうだな、じゃ俺も待つよ」
こんなスムーズに話した訳じゃあない。こんな感じだった、というだけのことだ。

それにしてもバスは来なかった。黄昏どきはとっくに暮れて、だんだん暗くなってきた。しかも店主とて不案内な土地柄で、どうにも仕方なく、ミシェルに歌を教えたりして、何となく時を刻んでいたのだ。
冬のロワール近郊など、人っ子一人いやしない。ミシェルの村はかなり遠く、送っていくにも余りに時間がかかりそうで、はるか極東のどこにあるやら知らない国からのこのこやってきた店主と
ロワールの田舎に住むミシェルに、地図を書いて教えたりもした。
店主は黒いロングコートを着ていたが、ミシェルは薄いセーター一枚でがたがた震えていた。
下にタートルのセーターを着ていた店主がこれ着とけよ、と差し出したセーターを、もじもじしながら受け取って、見かねておもむろに着せてやったが、まだ寒い。店主も寒く、仕方なく抱き寄せて暖をとる始末。どうなることやら、と思っていたら、遅れに遅れてバスはきた。

数年前、そのミシェル坊やが亡くなった。店主を捜して、ご遺族から丁重な手紙がきたのだ。
棺の中に、30年前にふらっと行き会った店主からもらったセーターを入れた、という。手紙を手に、あの道端に佇むふたりを想いながら、暫しの間身動きできずにいた。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.06 Thursday | 15:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
●知ってる?「ミッフィーちゃん」がオランダ生まれだってことを
日本とオランダの「交流史」は長く400年を越して続いている。国を挙げての記念事業をする、というお手伝いをしたことがある。その時、忘れていた「ミッフィーちゃんと仲間達」と久しぶりに対面した。ミレニアム・イヤー、2000年を前にした話である。


Miffy the artist, 1997 © Mercis bv
http://www.vam.ac.uk/moc/whats_on/future/miffy/

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は当時、「N」という日本を二分して代表する「製紙会社」のはじっこにあった、関連会社に拾われた形で在籍していた。
その中で、「帰ってくる特攻隊」といういわゆる「新規開拓」をする部署におり、今でも続いているオフ輪専門の印刷会社「Gナニガシ」で見事に「首」になって追い出されるまで、「新規!シンキ!」と呟いて走り回っていた。

今でも「文化事業」は金にならない、というのは嘘で、やり方次第・人次第だと確信しているが、この時もこの「国家的事業」の名の下に行われた「ディック・ブルーナ氏の世界」を展覧会とするお手伝いをしていた。
お預かりしたブルーナさんの「テープ」5本を電車の中で置き忘れ、探しまくって結局平謝りに謝ったこと、どこまでもかかる資金不足を父母の残した金でまかなったことなど、いつ振り返っても「ぐううう」と唸りだすようなことばかり覚えている。

店主は、「ぶたのうたこさん」という現代風「OL」の話がどうしても原文しかなく、大雑把ではあったが訳した覚えが鮮明にある。人っ子一人いない事務所で、なぜか「ドイツ語の辞書」を片手にあくる朝までに訳さなければならなかった、と記憶。

1997.12.18〜1999.10頃まで全国を回って、展覧したその事業は表向き「大成功」であったが、台所は「火の車」であり、店主は追い出されていく身の上で、後味の悪い思いを残した結果となった。

ディック・ブルーナ氏の描く「ミッフィーちゃん」は、今ではちょっと路線変更したのだろうか。お母さん達が、自分の言葉で子供に話して聞かせる、という最大の意図が
ある本で、制作手法や過程にものすごい人の手だけがかかる、つまり「ブルーナ氏」
がひとりで黙々とユトレヒトのアトリエで描く「作品群」なのである。

二回り上の「うさぎ」年であり、いい「おじいちゃん」になっちまったろうなあ。
もうお会いすることもないだろうが、その姿は鮮明に残っている。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.05 Wednesday | 14:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
●「ネウマ譜」に秘められた「謎」
どうも「ダ・ビンチ・コード」のおかげか、もともと人は「不思議」とか「謎」を解きほぐ仕掛けに弱い。
「レオナルド」がこれでもか、と「謎」のようなことを言い出すのは、ひたすら「ラテン語」が読めず書けず、ということの裏返しのようなものが発露になっている。何世紀もその名声を維持し続けている男とて、弱点はあったので、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主は、映画化されて却って分かりにくくなった「レオナルド」の仕掛けた「謎」については、別に書き記すことができる。

「謎」といえば、うっとりとたいていは眠りに落ちてしまう、オーケストラの演奏を維持するツールが「スコア」であり、その基本形は誰でも知っているように「五線譜」がその全体を維持している。



ここでいう古典期の楽譜は「四線譜」が原型で、時には「六線譜」なるものもあったようだ。その名称が「ネウマ」、すなわち四角いまあ言ってみれば、音の代わりに引っかいて作った「ポチ」、「点」のようなものである。総じてこの「ネウマ」を使った楽譜を、「ネウマ譜」と呼んだ。坂田上の田村麻呂が確かなぜかは不鮮明なのだが、「征夷大将軍」となって、やたら東北地方に押し入った頃、9世紀の話なのだが、退屈だよなあ、こんな話。

店主は、「グレゴリアン聖歌」と名づけられている音楽が大好きである。もともと、「声」こそが最高の楽器だと言いふらしていたが、中でも「グレゴリアン」はうっとりさせる「麻薬」のような役割を未だに持っている。

よくよく聴いてみると、それは何と「天台宗の声明」によく似たところがあり、われわれ凡人には読めもしない「サンスクリット語」を並べられるよりは丁度いいのだろう。
いかにもこういう点は共通しているが、素晴らしさの点でも同様だ、と思う。

しかしながらブック・エデン店主・生橋竜馬は、この「楽譜」の発展に何となく「謎」を感じるのだ、意図的な「謎」をね。
要するに楽譜は音をきちんと再現して、はるか彼方でも同じ(ような)歌、を歌えるようにすることが目的なのだが、そこに恣意的に「音」と「文字」を掛け合わせれば、いかような「暗号文」とて可能になる、のではないだろうか。

単純に音を文字化するわけではないが、では何の目的でそんなことをするか、ということが湧き上がる。ヨーロッパにおける「バチカン」の支配はけっこうもろく、各派閥が土地の「成金のえらいさん」と組むか抵抗するか、どんな事態が起ころうとも不思議はなかった。そこで、活用されたのが「ネウマ譜」とその発展形なんだ、というお話、説得力はないかなあ。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.04 Tuesday | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
●絶品だねえ、五代目と八代目と六代目!
こう並べてみると、きっと「梨園」の話か、「茶道」か「華道」かと、確かに日本の際立った純粋培養の文化の香がしてもおかしくはない。
たまたま国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬が今やご近所になった大学校に通っていた頃、何と「八代目の義理の息子」が先輩にいた、というか知らなかったのだが、他の先輩に、「お前はやっぱ田舎もんだよなあ」、とお教えいただいたのだ。
可愛がってもらったのは、どうやらお互い、どう足掻いても「ジーパンが似合わない」体型なのか嫌いなのか、そんなささいな理由からであった。



ともあれ我が先輩は、「八代目・桂文楽師匠」の紛れもない息子には違いなかった。親も親なら子も似たような「生真面目さ」があって、店主にとっちゃ、さしておもしろい訳ではなかったが、他の緒先輩方に言わせると、店主達のいるわびしいグループでは「大スター」なのだそうな。
たまたま、構内をかのアグネス・チャンちゃんが、コーラ片手にテニスのラケットを小脇に抱えて歩いていたのを、遠目にちらり見かけたことはあっても、縁遠いままであったので、この「八代目」の息子なる先輩は、実は店主にとっても母親に聞かせてあげたいくらいの、「大ニュース」であったのだ。




ところで、やはり「噺」(はなし)と言えばあねえ、「えええええ、まいどおばかばかしいはなしでな」と始まり、「あなたがたあが、いなくちゃあ、おまんまを食べていくわけにもいかないんで、な」と続く「五代目・古今亭志ん生師」に勝るものはないと、確信している。
噺の題目がその日の状況をみて変わるときなんぞ、幸運なお客から大喝采が上がった。店主はそういった録音を何度も聴き、何度もどこででも腹を抱えて笑い転げ、その「営業姿勢」に感動を覚えたものだ。



さまざまな事情から記録上、数少ない演目だけ聴くことのできるまさに江戸っ子のお手本のような「八代目」、さらにはきちんとした姿勢と判を押したような決まり台詞で始まる「六代目・三遊亭円生師匠」、しかしこの「六代目」は長く小説のような「怪談噺」など幅が広く、本当の意味では一番の「芸術家」なのであろう、そこをいくと「五代目」は余りに違いすぎた。

数十回の、夜逃げ同様の「転宅」=引越し、名前も数十回変えて、いったいどれが未使用なのか、本人だってわかりゃしない始末。恐らく「師匠運」が悪かったが、それでもたとえ「講談師」にさえなったことも「芸」のこやしにした。
誰でも同じような経験を積んで、きっと特に御三人方は「昭和の名人」とも呼ばれたが、破天荒すぎて人間の生き様はこんなんでいいんじゃないかあ、と教えてくれたかのような「五代目」の顔を思い浮かべるだけで、「ふふふ」とにやけてしまう。きっと「五代目」の自筆があれば、ブック・エデンは離さないよ。

もてたんだぜえ、いい男だそうなんだから。ああじゃなくっちゃいけないね、男はね。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.03 Monday | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
●新作「アトム」がアメリカで「オン エア」されていた日!
2003年はまさに「鉄腕アトム」の生誕した年に当たっていた。当然のことながら、その数年前から、手塚治虫先生のプロダクション、「手塚プロダクション」では、電通が間に入って「ソニー・ピクチャーズ」、その当時既にハリウッドの名映画配給会社「コロンビア」を買収していたので、合体として両者で、「新作・アトム」のカラー版が製作進行されており、日本ではCX:「フジTV」が放映権を握っていた。
この辺の話は、ごく一般的な話なので、わざわざこれ以上国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」の店主なぞが解説をしようとするのもおこがましい。
要は、先生の志を継いで、皆さんでより大きな「アトム」にしようと苦心惨憺たるストーリーがあったのだ。


1952/04-1968/03 「少年」(光文社)連載
TEZUKA PRODUCTION All rights reserved.

ところでその数年前、店主は「極秘企画」として、「アトム」「NASA」の宇宙技術によって、ひとりでに発進し、東京―大阪は言うに及ばず、パリ、ロンドン、ニューヨークと飛んで帰ってくる、というそれこそ大掛かりな「プロジェクト」を企画し、手塚プロダクションの社長さまのところに持っていったのだ。
そこそこ、進んだのですよ、企画もスポンサーもね。
ところが、実際「アトム」が誰の意思もかかわりなく、彼の「自由裁量」で、もしも飛んでいったとする、すると大したことなんだけど、見てる人には、「あ、いっちゃった!」というくらいなものでそれで、チョンなわけでね。
これじゃあもし実現するとしても、何対の、つまり何人の「アトム」がいてくれりゃあいいのか、膨大な予算がかかることになった、店主の荒っぽい試算では。

まあ、残念ながら、たとえ「NASA」の技術が支えてくれたとしても、恐らく不可能だった企画で、やはり多くの企画と同様、ぽいと消えてしまった。みっともない話になる前に消えてしまってよかったのかもしれないが。

そんないきさつもあってか、多少は「アトム」とも付き合いがあり、この生誕の年にも
何とか店主は何かをしたくてたまらず、皆さんにお願いしたのだ。すると、嫌がるかと思いきや、
意外とすんなり「やってもいいよお」と、大親友の著作権局長から「許可」が出た。
ただし、担当は「中近東・アフリカ」エリアに限る、と。

ちょうど、アメリカ・イギリス他の「西欧型おまわりさん」を自認している国々が、「イラク」を空爆した頃のことなのだ。
店主は、片やこれまたアメリカ・日本中心の主流派が、TV化の成功に浮かれまくっているとき、
まさにそんな時、ひとりわびしくそれでも、「イラク大使館」「サウディアラビア大使館」など一通りの国とTV局、に企画書と絵をつけて送りながら、やたら連絡をしようとしていた。間抜けだよねえ。分かってちゃいたんだ、人が生きるか死ぬかの局面にいる時、どこの阿呆が、TVの素材買いませんかあ、というようなお馬鹿な提案、にまともに答えを寄越すかってことくらいはねえ。でも、仕掛けた、仕掛け続けて悲しくなった。心底俺は間抜けだと知って。

今ならどうにでもしますよ。あの、一番悲しい時に、「売り込み」にこられた担当はどうしているんだろうかなあ。あっさりとボツにしたことは分かる、またもう一回お願いしたら、笑わないかな?

店主・生橋竜馬
| 2006.07.01 Saturday | 13:58 | comments(0) | trackbacks(1) |
■古代言語の個性:動詞の基本形は、何と「過去形」という含蓄深い意味!
やたら「漢字」を使うと引き締まるように見えるのだが、「黙読」が普通になっている昨今では、実は「目で追う」時に引っかかってしまい、読みづらい。さりとて「ひらがな」ばかりにすると、どこで切っていいやら分からず、結局読めたものじゃなく、ほっぽり出すことになる。
適度に「漢字かな混じり文」が心地よく読み易いのは当然のことなのだが、意外と「物書き」の端くれを自認する人にとっては、ここが知恵の使いどころで難渋し、胃を痛めることになる。

古代オリエントのいろんな形の「文字」を追いかけてみると、たかだか6000年程前のことではあるが、とても「原始時代」のお粗末な「文化程度」が生み出した産物だなどと言えるものではなく、生み出された環境によって違いはあれ、実に構造的にも大いなる「工夫」が凝らされている。

もしかすると、「バベルの塔」の崩壊の後、「フェニキア人」達の発想と、「古代ギリシャ人」の整合性がかみ合ってできた、「アルファベット」の構築こそ、その後の人類をかなりのスピード感で一つに集約することはできたものの、「創意工夫」という面ではますます後退したように見える。

その点、わが国は「大中国」のおかげで「漢字」を輸入することができ、なおかつ古代倭人「文字文化の普及」に苦心したおかげで、「ひらがな」を身につけることができた。それに伴い「カタカナ」まで生み出すこととなり、現在でも4000余りの「常用漢字」を小さい時から手に取るかのごとく、自在に操ることができている。

そんな素晴らしい国に生まれ育った、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は、かなり偶然ではあるが、そこそこの「古代オリエント」「文字言語」を習得する機会を得たのだ。

驚いた!とにかくこれまでの「外国語」とは点で違うのだ。「文字そのもの」の形もさることながら、「書き方・書いていく方向」がまるで違う。
好き好きがあるから一概に言えないが、店主は「古代ギリシャ語」の形が、まったくダメなのだ。あの、△やら□っぽい形をみただけで、「うっ!」と唸る。それは今も変わらないが、
かつて田中美知太郎氏から、「ホメロス」を原文で読まないで、さも分かったような気になってちゃいけない、仰られたのを又聞きし、あったまにきてやり直した覚えがあるが、それでも今でも、どうもな。


Hebrew Lotto game.
Warsaw: ca. 1900.
Wood with paper game pieces.

そんなことじゃないのだ、「古代ヘブライ語」では、基本形は「過去形」なのだ、ということを理解させられた時こそ本とに驚いたし、余りの深遠なその発想に感激した。
なぜか。かつて師のひとりである旧約聖書学者カール・ワルケンホルスト師から、意味深長なお言葉をいただいたのだよ。
それはこういうものだ、「人間が言葉を発した時、それは既に過去のことなのだよ」、と。わかるかい、現在形なるものは「概念」の上でしか存在しないのだ。ヘブライ人は余りにも現実的な能動タイプの民族であったがゆえに、何かをする、ということを「した」瞬間、それが既にもう取り返すことのできない「過去の事実」となったことに気付いたのだろうかねえ。

店主達は大きな声で、毎日繰り返すのだ、基本形の反復練習を。その基本形の例として師が取り上げたのが「殺した」という動詞である。複雑な、しかもみっともない声で、「私は殺した」「あなたは殺した」「彼は殺した」....とやるのだ。
人が聞いたら、なんだろと思うだろう、その気恥ずかしさ、忘れない。

店主・生橋竜馬
| 2006.07.01 Saturday | 08:34 | comments(0) | trackbacks(1) |
■比較文化:トイレの「シルクロード」―「すわって」するか「しゃがんで」するか
確か小学校の後半に、一時期、岐阜は多治見という田舎町にある「西洋坊主の館」にお世話になったことがある。その時、初めて国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は、「西洋式トイレ」とご対面したのである。


Aubrey Beardsley (1872-1898)
The Toilet of Salomé.

ttp://www.nyu.edu/
とにかくどうすりゃいいのか分からず、最後は便座の上に乗ってしゃがみこむように座ってみた覚えがある。むろん不安定この上ないことは言うに及ばず、子供ながらに、「なんでこんな不恰好」な姿勢で、用を足さなきゃならないのだろう、と思うに至り、もしかするとこんな格好じゃないんだろうな、とつくづく考えてみた。もちろん、脂汗が出るほど我慢をしながら、の話である。
こういう記憶はやたら鮮明で、なおかつ妙に「気恥ずかしく」記憶している、貴方にはそういう覚えはないのかな?

実家には当然「水洗トイレ」などというお洒落な、いや便利なものはなく、果てには確か母方のめちゃ気の強い祖母が男用の「便器」で立って用を足しているのを、たまたま見かけてしまい、目を白黒させてしまったことも今思い出した。

数十年が自然と経って、今や「座ってするのは」当たり前で、なおかつ「脱臭機能」「トイレのシャワー」はごく当たり前のこととなった。
というより、店主なぞはあの「便座シャワー」の力によって、辛うじて用を足している、という気がしないでもない。生きることそのものが、「自力」では困難になっているのだ。まあ、何となく「ダラシナ」く―「デラシネ」もじったものさ生きているだけで満足なのだから、言うべき言葉もないが。

主題はこれからなのだ。どうも店主の駄文には、横道・脇道・前置きが多く、「落語」でいう「枕」だけで終わる話が少なくない。
ともあれ、わが国をはじめとするわが「アジア」の国々では、「トイレ」「しゃがんでする」ものと相場は決まっている。
多くの「植民地化」と全く身に覚えのない幾多の「戦争」によって、「欧米文化」はいやおうなしに入ってきているから、今では「西洋式トイレ」が当たり前の顔をして大手を振っているが、実は「文化的には」ちっとも馴染んではいないのだ。

では何故西洋では、「腰かけ型トイレ」が流行るようになったのか。突っ込んで言うならば、何ゆえ西洋人は「しゃがんで」用が足せないのか、が大きな疑問となる。
歴史的なこの大問題に対しては、多くの「試論」が「解説」として寄せられている。
店主は、「西洋と東洋」という「近代的な紐解き」を根拠にこの問題を語るだけでは足らず、実は「人間の文化の起源」を見入る姿勢がないと、「しゃがむ」「すわる」の機能的意義を解明することにはならない、と考える。

この問題は、恐らく300ページほどの大著になるはずで、ブック・エデンが出版する「一大著作」となるはずなのだ。
ああ、なるほど、と思いたいでしょ。少し待つといい、目から鱗が落ちるがごとく「トイレのシルクロード」「古代オリエント」の各文明を巻き込んで語ることになるのだから。

店主・生橋竜馬
| 2006.06.29 Thursday | 11:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
■地味目の美術館・博物館―コペンハーゲン「カールスバーク美術博物館」
それほど知られていない、と言うと「知らないのはお前くらいなものだ」とお叱りを受けるかもしれない。世界的ビール・飲料のメーカー、「カールスバーク社」の二大文化財団が運営するこじんまりとした美術博物館がその本拠地、デンマークの首都コペンハーゲンにある。


ttp://www.carlsberg-japan.com/history.html


企画屋としての国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬が取材をかねて訪れた時、広報担当者に教わって行ったのだ。
驚いたことにゴーギャンの間があり、23点もの作品が所蔵されていた。むろんタヒチへ行く前の作品群ばかりである。
さらに時代的に区分されており、古代ヘレニズムから古代ローマの所蔵品がさりげなく展示されており、多くが「首つき」の完成品であることに、思わずうなったほどだ。

何もカールスバーク社の宣伝をことさらするつもりもないが、この企業のものすごさは、傾きかけたブランド・メーカーがあると必ず傘下に収めてしまうことだ。聞くと「外資」におめおめと自国の優秀な企業が買収されるくらいなら、自社が乗り出そうという愛国心の塊のような意図がそこにはある。
しかも傘下に収まったはずの企業群のどこにも表向きは「カールスバーク」の「カ」の字も出ない、という奥床しさが、外部の安心感を誘っている。
もしも感心があれば調べてみるといい、へええ、あそこもそうなんだあ、と思うに違いないから。

アムステルダム国立博物館には特に近代・現代のデンマークの作家の部屋がある。やはりヨーロッパの文化予算は大したものだな、と思い学芸員に話を聞くと、どうやらそれらもカールスバーク文化財団からの寄贈なのだそうだ、作品の隅っこに「カ」の字がプレートで小さく打たれている。その他の国立博物館ならずともこの企業の所蔵品の寄贈は多い。

その後、何度も「カールスバーク美術博物館」所蔵展を企画したいと、お願いの手紙を書くのだが、その度ごとに丁重にしかしきっぱりとお断りの返事がくるばかりである。
むろん店主のような、どこの世界の片隅でも誰も知りはしない輩がそんな提案をするから断られるのか、と思いきや、方々からのそういうご提案には一切お断りしている、んだそうな。
見たけりゃおいで、の精神も相変わらず、の姿勢でそこまで言うならこっちもどうにかしてその頑なな門戸を開いてみたいと、ない知恵を絞りながら、いつの日かを楽しみにしているのだ。
店主・生橋竜馬
| 2006.06.29 Thursday | 10:47 | comments(0) | trackbacks(1) |
●世界に点在する「古本屋」余談―オランダ・アムステルダムの巻
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」は紛れもなくただの「古本屋」である。といってもあと少し、いまだ「開店準備中」ではあるが。
新旧相入り乱れて、仲間と自力で法人化している作業が、「会社認証申請」という段階を経て、いよいよ「法務局」に登記する段階にきている。「会社」という人格は登記してはじめて社会的な責任を明確に保持することになるのだが、山のようにやりたいことを、あまあい蜂蜜ののような態度で、ぜえんぶやっちゃえばいいや、と模索しているものだから、この基本的人格を措定する作業に時間がかかった。
早い話、ただの「古本屋の親父」だけでは生きるに汲々とする、ということなのだ。

数年前、久しぶりに用があってアムステルダムに行った。周知のごとく、先の大戦(などと言っても誰も知らない時代にとっくになっているのだが)、ともあれその頃、インドシナ半島「植民地化」していたオランダとは交戦状態にあったわけで、戦後何十年たとうと、基本的にさまよえるオランダ人がわが日本人をとことん嫌いな状況は変わっていない。

Erasmus of Rotterdam 1469-1536. Print of engraving, NLM collection

そんなことに直接関わった訳ではないので、ブック・エデン店主はいたって暢気に、しかも「何の責任も感じませんね」という態度を一貫してもっていた。そういう無言の態度はどこかで軋轢を生むものだが、生来のしかも例の「魔の東洋人のほほえみ」と言う奴で、どこの国へ行ってもささやかな論争程度ですんでいる。ともあれ、
スキポール空港の玄関には敬愛するディック・ブルーナ氏の「ミッフィーちゃんと仲間達」がお出迎えをしてくれており、どこ吹く風のごとくアムステルダムに入ったものだ。

もともと日本はオランダとは親交が深く長いので、外来語として日本語化したオランダ語も数多くあるし、何と言っても「鎖国時代」に活躍したシーボルト博士は身近であるし、個人的には哲学出身なのでエラスムスの美しいラテン語による「愚神礼讃」は忘れがたく、できればブック・エデンで紹介してみたいくらいである。
さらには、どちらかというとレンブラントもいいのだが、フランツ・ハルスの笑顔を描いた作品群がたまらない。土台、過去の作家の中で、人の笑顔を描いた作家は少なく、レオナルドハルスかというくらいなものだ。その上、ハルスの作品で人は、くすっと微笑むなどというものではなく、破顔大笑を地で言っている。

店主・生橋竜馬はこの頃はまだただの「古本屋好き」であったが、このアムステルダムの古本屋街も見所のひとつだと思う。場所を「ヨルダン地区」という。
いかにも、の雰囲気があるじゃないか。古代オリエントがそのままそっくり残っているような、妖しげな雰囲気の地域であり、余談だがかのアンネ・フランク嬢の家に近かった、と思う。
一軒一軒、ユダヤ人とアラブ人が過去の長い大葛藤をここにまで持ち込んでにらみ合う雰囲気をよそに、彼らにとってどうでもいいような東洋人の店主は、ある意味オアシスのようなもの、であったのかなかったのか。
親父とその爺さんから3000年ほど前の古い物語を聞いていると、今にもミヒャエル・エンデ「ネバーエンディングストーリーの世界」に入っていけるようでわくわくしたものだ。

いつかきっと皆さんを引き連れて、こうした妖しげで雰囲気のある「古本屋」巡りをしたいものと思うが、いかが?
店主・生橋竜馬
| 2006.06.24 Saturday | 07:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
●ひっそりと世界に散らばる「日本人」のルーツ
当たり前のように「帰国子女」はわが国のいたるところに進出し、ごく自然にバイリンガルの経験を生かしている、狭くなった「地球社会」を見ることができる。
それほどに「世界中」に進出している「日本人」は多い。この島国にあってちょいと前までは「鎖国状態」を維持していた国柄とは見えないほどの盛況ぶりだ。交通手段の発達による「進出」が大きな要因であるが、果たしてこういう状況は今の話だけなのだろうか。

頃は「聖徳太子」の御世以前にさかのぼるに違いない。厩の君の右腕とも言われる帰化人「秦河勝」の一族は危なく日本海を越えて逃げ込んできたが、彼の生国は遠くシリアにあり、じゅうぶんまだ「アラム語」を話すことができたか、少なくとも「文字としてのアラム語」資料を読みこなすことはできた。

では彼等は「日本語」を話すことができたのか?流浪の民を歴史的に経験してきた「ユダヤ人」同様に、すこぶる浸透性の早い民族であったことは確かだろう。でも彼等の通訳をする、彼等の言葉を我が物にした日本人は、ことほど同じく多くいたに違いない。
しだいにこの現象は、荒れ狂う日本海を越えて、彼等の故郷に赴く日本人の存在を示唆する。

「古代ヘブライ語」がいろんな点で日本語と似ている部分が多く、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は片隅に埋もれたまんまで終わっていくのだが、それでも「古代オリエント」のその後の地球社会に及ぼした何ほどかの影響を解明する研究者である所以をもって、この「古代日本人」渡欧・渡オリエント地域説をきちんと表明するつもりであり、ここでは足がかりにしたい。
飛鳥寺 聖徳太子立像

数十年前、初めて渡欧したときですら、すでに数多くはなく、しかししっかりと根付いていた日本人はかなりいたものである。外交官、とその家族、商社マンとその接待要員の家族、という訳でもなく、すでに当然のことながら「訳あり」のふかあい事情を抱えてその地に住み着いて、しっかりと生きていた。
店主はこうした「名も無く、方々に訳あって散らばる・日本人の先達」を、また今の今世界のあちこちに住み着いた日本人を、きちんと取り上げ形に残したい、と思う。

たかが古本屋の親父は、そこそこの研究者でもあり、ちょこっとの好奇心から「物書きのはしくれ」なのである。ぜひご期待あれよ!
店主・生橋竜馬
| 2006.06.22 Thursday | 07:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
■子音ばかりのセム語が、どうしてなじみやすいのだろ?
現代欧米の「アルファベット」はおおむね26文字プラスアルファであるよ。そのアルファベットの起源は、おそらくフェニキア人というわれわれ島国でありなおかつ沿岸に住み着いた民族にはわかりやすい、「海洋人」が創り出した「文字言語」であると思われる。
その起源はおそらく前1700年以降、1900年頃まではさかのぼることができるだろうよ。

また七面倒くさそうな話になるが、中国では40、000とも言われる「漢字」が考案され、わが国でも漢字とともに、独特の「平仮名・かな」と後世「カタカナ」までが作り上げられ、緻密な「文字文化」を伝統してきている。
だから、小学校の頃からいやでも覚えさせられてきた、いや「試験」で頭に叩き込まされてきた「オール日本語」をいろんな風に読み書きできる点で、たかだか26文字の応用なんざ、すぐに手の中に納めることができる。


ttp://www.nelc.ucla.edu/Faculty/Schniedewind_files/SEM230_NW_Sem.htm

ところで、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主は、古代オリエントの先達の生き様を覗きこむ、ということを研究の一端にしている。よって、どうしても「西セム語」の習得は当然の必修なのである。
この「古代オリエントの言葉」には実は母音がない。一切を子音だけで表現しようとする。つまりある語の読み方はいっぱい出てきておかしくなく、この点では「ああ、日本に生まれてよかったなあ」としみじみ思う。

日本語では一つの言葉に、知らない読み方まであって、思わず「うっそおおお!」と叫んでしまうばかり、となる。こういう体験を子どもの頃から半ば強制的にさせられてきたことは、「子音」だけの「文字言語」を読んでいく時、すばらしくなじみやすい。本とにそうなのかあ?日本語でだって「子音+母音」だからこうやって読める文章になるんじゃないのかあ?
もちろんその通りだよ。ある一定の「読み方」を一語ずつに与えておくから、こうやって共通の「文字言語」として通じるようになるのは当然のことだ。

ではなぜこんなことが起きてしまったのだろう?
それは深い「謎」なのだが、店主が思うに民族の発祥が似ているからだ。あっさりと言われては困る、というかもしれないが、実によく似ている。
店主は、この辺に絞って一度書き下ろそうかと思うくらいだ。
まあ、一度「喧々諤々」の仲ではあるが、ヘブライ語とアラビヤ語だけでも比較してみるといい。
日本のようなその二つの「宗教的近親相姦」にまったく縁のない民族であるがゆえに、醒めた眼でせめて「文字言語」だけは凝視することができる、そんな気がする。
店主・生橋竜馬
| 2006.06.14 Wednesday | 08:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
●古代オリエントの知恵―60進法はなぜ便利か?
1時間は60分でええ、1分は60秒なんだよお」と幼稚園あたりから家でも口を酸っぱくして教わった。ちなみに「1日は24時間」と、よおく考えてみると何だか中途半端な数字が人類の生活を支えている。
かと思うと、別の単位では「1メートルは100センチ」などと教わった。いずれにせよ、毎日の生活に深く入り込んでいて、ごく当たり前の数値のように思われるが、この両者は根本から違う発想のもとに生まれたものだ。

いわゆる「60進法」「10進法」という。60より10の方が小さいので、いかにもより合理的な印象を与えるが、どぅであるか。
「60進法」は、「古代オリエント」=「シュメール・アッカド・バビロニア文明」のもたらした大きな遺産である。1〜60を基盤にし、その拡大した数値により天体・地球世界のあらゆるものを説明しようとした。
その後、現在同時に遣われることとなった1〜100を基礎とする「10進法」が生まれた。どちらが客観的妥当性があるか?

Schoyen collection ttp://www.nb.no/baser/schoyen/5/5.11/ National Library of Norway

便利さ、機能の点で数値の小さい「60」の方が「100」よりも可能性が大きい、と考えられる。なぜか?それぞれの数値を割り切る数がいくつあるか、数えてみるといい。
「60」では、「1,2,3,4,5,6、10,12,15,20,30,60」と12個の数値が自由自在に生きている。それに対して「100」の中には、「1,2,4,5,10,20,25,50,100」と数自体が大きいにもかかわらず、9個の数値が生きているにすぎない。
母数が小さい、そして使い勝手は大きい、そこに着眼した古代オリエントの先達の慧眼には驚くべき何かがある。

この何かを解き明かすことが国境なき古本屋―ブック・エデンのもう一方の使命である、と店主は確信している。
ここでは、ちょっとだけ日常の中で、この違いを凝視してみるといい。
そう、目覚まし時計、鳩時計を眺めながら。
店主・生橋竜馬
| 2006.06.14 Wednesday | 08:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
■文筆家・アッシュル・バニパル王の残した図書館、の巻
かれこれ2600年程前のことでさして古い話でもないが、「新アッシリア帝国」は滅亡した。後に出自するわくわくするような「アレクサンドロス」や、「チェザール(シーザー)」に先立つ悩み多き王「アッシュル・バニパル王」の逝去後、すぐのことで、ある意味歴史的必然の事態である。

「文字文化」の源泉は「謎の民族・シュメール人」が伝統的に継承した楔形文字である「古代シュメール語」の創造にたどることができるが、紆余急変しシュメール人も共生していた「セム語民族・アッカド人」にしだいに同化していく中で、固有文字言語である「シュメール語」も変節していった。

ttp://pw1.netcom.com/~aldawood/links.htm
The "great and honorable Ashurbanipal" (Ezra 4:10), soldier, hunter scholar, shown carrying a basket for the rebuilding of a temple in Babylon. The relief if from the north palace of Ashurbanipal (668-633 B.C.) at Nineveh.

いずれ近いうちに国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」が開店した後、古代シュメール・アッカド語のシリーズを何らかの形でカテゴライズしていくから、その時までお待ちください、となるが、ここではこの悩める最後の王・アッシュル・バニパルに焦点を当てておきたい。
いずれにせよ、このお話は、現在のイラクに起きた話である。
文化的・政治的に合わない、と感じる向きも多いかとは思うが、まあここ数百年かに起きた新参者の国々の文化度とは比較にならない、むしろ古典的歴史を継承し続けるわが国には、理解しやすい地域のできごとではある。

大英博物館(なんで「」と大仰につけて読むか不思議に思う向きもあるはずで。ただのBritish Museumなのだが、theという冠詞がつけられていることで、かつての大英帝国を彷彿させることになった、誰のせいでもない。
ともあれ、そこの「アッシリア室」には彫刻的技法が卓越した王のレリーフがある。ライオン狩り(あえていうが、今のイラクにライオンはいないはずで、どうしてこうなったかまた別の機会にお話しよう)に出た王は腰に葦のペンをさしている。

アッシュル・バニパル王は珍しく文字が書けて読める王であったのだ。
歴代の王、唯一記録に残る女王の中で、文字が書けて読める王は数少なかったと思われる。
シュメールの書記学校は今で言う進学校であり、エリートの集まりであったが、戦や外交、神々への賛歌を詠いあげたはずの王が、必ずしもこういった教育を受けていたわけではなかった。

こうした事実がわかるようになったのは、1845年からA・H・レヤードがニネヴェの発掘に入り、1853年、弟子のH・ラッサム「アッシュル・バニパル王の図書館」を発見したことに負う。2〜4万枚の粘土板の蔵書を多くは力づくで集め、
一種のコレクターにありがちな眼で、毎日眺めていたのであろう。
店主はこの王を「悩み多き王」というが、おそらく拡大し切った国家の行く末が見えていたのである。シュメール文明と呼ぶものがなし崩しに消滅しかかる頃に、書記たちがやたら
3000にも上る文学作品を書き残したことと同様に、王は逸脱していく作品群を「王立図書館」に残したのだ、と思う。
その数百年後に起きた、「古代アレキサンドリア大図書館」への書物の集積となにやら似ているではないか。

その多くがいまだ解読中ではあるが、ニネヴェそのものが土に埋もれてしまったことで戦火を逃れ、現在でも眺められる貴重な「文字文化」の継承につながったのだ。
いずれ没後2600年を記念して、単独の「アッシュル・バニパル王の世界」を展覧会に企画してみたい、と考える昨今である。
店主・生橋竜馬
| 2006.06.07 Wednesday | 08:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
●今年のキャッチフレーズは「Passion et goût」!
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主の年頭の挨拶は、「Passion et goût」すなわち「情熱と審美眼」である。ブック・エデンを新しい仲間と本格的に立ち上げようと、うっすらとしたイメージを持って臨んだキャッチである。
ttp://bancroft.berkeley.edu/events/bancroftiana/120/incunabula.html

当ブック・エデンは来週中には法人化し、本格的にWEB古本屋の道にも入る、ということになる。数ヶ月間、四苦八苦しながら抱いてきたこの店のイメージは、世界中のコレクター、古本屋、博物館美術館、古典的な図書館、さらには国の出先機関を相手に、それぞれが所蔵する書籍・美術品を紹介し販売する、という単純な構造である。

もともとたとえ経済的にゆとりがあろうとも、店主の個人的エントロピーの高い性癖から、店舗をもつことは夢にも思ってはいない。たまたま、打ち合わせの都合上事務所を置くが、そこにどれほどの本があろうものか。
店主や仲間の所蔵する本とて多くもなく、たとえきちんと仕入れに入ったとして在庫できる数にはたやすく想像できるほどのものだ。

「本のトレジャー・ハンター」として欠くべからざるは、まさに「情熱と審美眼」である、が、これとて店主に備わっているのは意欲くらいなものだ。

ただ、以前から古代オリエントから中世、グーテンベルクの時代あたりの隠れた一品がきっと継承されてきているはずだ、と眼をつけた時から実は、密かに
狙いを定めてまさぐってきた。
伊達に海外を、貿易やら企画を立てて飛び回ってきたわけではないのだ。

こそっと「謎」めいた本を紹介するから、ぜひその際はお見逃しなく。
あると思えば、世界中に「謎」「ベールに覆われた書」は散在している。
そういう稀稿本をどうやってブック・エデンがご紹介できるか、ひとえに
店主や皆さんのあくなき「文字文化の継承」への「Passion et goût」(パッション エ グウ)にかかっているのである。
店主・生橋竜馬
| 2006.06.06 Tuesday | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
●脇道話:ブック・エデン店主の頭にからすが舞い降りた日
「カラス」「烏」を不吉な鳥と見るか、はたまた何と小利口な奴らだ、と見るかはその人のいる立場によって違う。都会では「ゴミ問題」に必ずや「カラスの弊害」問題がついてまわっている。どこから現れてどこに消えていくのか知らないが、まるで「月光仮面」のおじさんのように、そろそろ来るな、と思う前にすでに「ゴミ捨て場」には大勢の大きな真っ黒なあいつらが、獰猛そうに食い散らしている。


www.katrinawhitney.com

「シッ!」とか「あっちへいけ!」とか大きな声を出すと「ぎゃあああ」っと叫びながら襲われる、ような感覚に陥るもので、できるだけそ知らぬ顔をして、こそっと対策を練る、これが現代都会人の現状なのだ。
ひょっとすると言葉の通じる「中坊」(中学生のことだよ)の方が、かっとなって何をされるか分からない、現代世界の先進国が長い時間をかけて作り上げてきてしまった悩みは「カラス」対策より根深い。

ところで、古代オリエント「ギルガメシュ叙事詩」追加版・第11書版からも分かるように、「大洪水」の後、逃げ出した船からいろんな鳥が飛ばされて、最後にわが「カラス」が飛んで行ってオリーブの葉を咥えて帰ってくる場面がある。
店主が思うに、まあどの鳥もよくしつけられていて、ちゃんと帰ってくることになっているのだが、要するに「カラス」のおかげで水の引いた陸地があることが判明し、そしてわれわれの祖先は生き延びることになった、のだ。
店主が思うに、この話、おそらくアッカド語の時代には既に古代伝説めいたポピュラーな話として広く知られていたわけで、「シュメール人」はその先祖からの口承伝説を「文字文化」に残したのだろう。となれば、その原型は6〜7000年前のものである、と考えられる。

長いほうのユーフラテス河であれ、暴れ河として名高いチグリス河であれ、地を飲み込むほどの洪水は起きていない。が、7000〜9000年前には、隕石の落下による大異変があったからそのあたりにこの話の源泉がある、とにらんでいる。

ともあれ、ある日のある朝のことであったよ。前夜、べろべろになるまで、どうしてそこまで呑むかね、というくらい呑んだあくる朝、ブック・エデン「book-EDEN」店主は東京の千代田区にある上智という学校の近くを、ふらふらと歩いていた。
ほろ酔い加減も手伝って、遠くにいるカラスに向かって、ごくいつものように「ぎゃあ。があ。」と鳴きまねをしながら歩いていただけのことなんだが。
あまりに突然のことなんで、何が起きたか、最初は半信半疑、とにかくもうびっくりしたのだ。
頭の上を某カラスがぴょンぴょン飛び跳ねては、「ぐわあ、ぐわあ」と叫ぶように諭すように啼くばかり。
「やめてくれえ」「おねがいだあ」と店主は周囲をはばからず叫びながら、四谷見附の交番のほうに走っていった。もちろん、新宿通りは大勢の通学・通勤者がおり、「あらまあ」と口をあんぐりあけながら、果てはげらげら笑いながら見ているだけ。誰も、馬鹿馬鹿しくって助けようともしない。
まあ、怪我をさせるつもりもなかったらしく、交番の前で店主は解放され、交番の主から、「どうしたの?」と聞かれても答える相手がいなくなって、取り付く島がないのだ。
その後も、カラスを見ると鳴きまねをしたくなるのを、ぐっとこらえて通りすぎることにしているが、不思議なお互いの関係を忘れることはない。
店主・生橋竜馬
| 2006.06.03 Saturday | 18:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
●脇道話:「アルト・ハイマー君」にならぬようにする!?/  古代オリエント文字解きへのお誘い
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬はもう何年も前から、「物忘れは激しく」中でも「人の名前」と相手の「電話番号」がさっぱり出てこない。携帯人間のひとりであったので、もっと前ののようにすらすら番号が出てこない、のもやむをえない、とは思っていたが、携帯をなくすことが起きた(しかもカバンごとなくした)後は、どこの誰にかけようとも、まるっきし番号がわからない。
何回目かになくした(盗られたらしい)当時、買い替えたばっかのN○○○○○だったので、ド○○に電話をようやくかけて、実はこれこれなので自分の電話番号そのものを教えてくれないか、と丁寧にお願いしたところ、「お客様の番号を教えてください」と言う。
だからあ、番号があ、ふう、分からないから電話してんですう!というと、番号がわからないんじゃあねえ、とマニュアルどおりなんだろう、その繰り返し。
情けなくなる、でしょ、実際涙が出そうになったのです。あまりのお馬鹿馬鹿しさに。


Alois Alzheimer
www.planet-wissen.de/pw/Artikel,,,,,,,AA5AF970EF035F95E0340003BA087C6D,,,,,,,,,,,,,,,.html

ある海外の友人が日本に来てたときのこと、忙しかったんだそうな、だからファーストフードの店、慣れた「マック:マクドナルド」に飛び込んで、さあさっさと買って歩きながら食べちまおう、と思ったんだそうな。
ところが、例の可愛らしい調子で、「何になさいますかあ?」
「うん、マック、2ヶ!」
「お飲み物はなんになさいますかあ?」
「いや、いらない」
「お持ち帰りですかあ?」
「そう」
「この外に、うんたらかんたら、ありますが、いかがなさいますかあ?」
「いらない」
まあ、店主の聞き語りなので、仔細は分からない。ただ、ある夜、呑みながら「お前んとこの、ファーストフードってどうなんってんだ?」というから、
「お前んとこの国から持ってきたんだ、知らないね」と答えておいた。怒る気持ちはじゅうじゅう分かる。ま、これはマニュアルだけの話で他意はないのでご容赦を。

本題戻:この頃は、TVを観ていても、あれは誰だったか、こないだ他の番組に出ていたあの、誰だっけ、となる。ほとんど出てこない。今のところ近親者の名前は出てくるようだ、それも危なくなったらどうなる?
老いると赤子帰りになるんだろうから、昔のことはよく覚えている。3つのとき近所の誰それにお菓子を取られた、とか、母親と歩いていたら蛇に追っかけられて、まっすぐ歩くうちはどんどん後ろから迫ってくる、ああ怖かった、とか。
たわいがなかろうと、人間の一生の経験なんぞ、この程度のものだ。
大事なのは、まだそれを覚えている、ということだ。

古代オリエントの文字を読んでいると、「パズル」の絵解きをしているように感じられる。セム語に抵抗はなく、いわゆる関連語を他の言語に見出していく、
というのはけっこう頭の体操になるし、「謎解き」に近いものがあり、想像力を高める作業にもなる。
確かに父は91まで生き延びたが、何だかいつもできもしない「クロスワードパズル」を持ってきてくれ、と言っていた。
店主は数年前から、ちゃんと自称している。ただし、多少可愛げに、「アルト・ハイマー君」(老ハイマー氏)と呼ぶようにはしているが。嫌じゃないか、どうせ何も分からず、呆けていくんだ、せめてそんなときでも多少の愛らしさはなくっちゃあね。それにこの呼称、何となくはゲーテ「アルト・ハイデルベルク」に似てるようだし。

いずれにせよ、ただいま大流行の予防策に加えて、ぜひ古代オリエントの文字解き遊びを提案したいものだ。
ブック・エデン開店後には、こうした遊びを不定期にでもやりますかね。
店主・生橋竜馬

| 2006.06.02 Friday | 13:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
●脇道話:ブック・エデン店主、会社設立に奮闘中!
Colonna, Francesco de (attr., 1433-1527).sm. folio; 242 unnumbered leaves; 313 x 206 mm www.humi.keio.ac.jp

たぎるような燃える思いと、果てしない不安を抱えて、しかしとにかく進めなくてはならない作業に国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は追われている。それは何か。以前から言っているように、「法人化」の作業なのだ。ことは「ブック・エデン」だけに終わらず、誰しもそうなんだろうけど、一度にあっちもこっちもやろう、という思いが仲間の中にもあって、いわゆる「定款」作りから事務所の賃借、屋号の決定、ドメインの取得、と実は店主は超アナログ人間なので言うほど没頭できてはいないのだが、ともあれいろんな領域に立ち向かう、というのは落ち着かないものだ。
ま、もし会社設立をお考えの方、ご相談に乗りますよ。

以前、「ダ・ヴィンチ・コード」がかなり評判になってきた頃、矢島文夫先生から、もっとおもしろい「不思議な『謎本』」があるよ、とその本を見せていただいたことがある。
フランチェスコ・デ・コロンナ作と言われる「ポリフィーロの狂恋夢」という書であった。店主が拝見したのは、そのフランス語版で、師曰く、「こっちのほうが美しい」とおっしゃる。本全体の装丁のことではなく、どうやら挿絵を指して仰ったことのようである。アルドゥス印刷革命初期の1499年初版発刊した本書は、難解なラテン語からきたイタリア語で書かれておりまったく売れなかったが、装飾頭文字の使用、繊細な木版画の利用など、印刷初期の書としては最も美しい本と呼ばれるにいたった。

ポリフィーロが夢の中で巨大なピラミッドを訪れると背中にオベリスクを乗せた象がいて、その中に入っていく、とかとかその意味を解読するためには「薔薇の名前」を読み下すと同様の背景を知っていなければおもしろくないだろう。
アメリカで出版された「The rule of four」の邦訳を見たが、どうもねえ。ただこの方が映像化されやすいのではないか、とは思うが。

矢島文夫先生の評価は、文章・挿絵にはある種の「エロチズム」がなくてはならない、という意味がこめられているように思う。おそらくアルドゥスが出版したのは、ベネツィアではないか、と推測するが、惜しむらくは絵が固いのである。
この書、慶應義塾大学が第2版をそろえて所蔵している、と聞くが、わざわざこんな多くの人にとって無名な書を所蔵する意図は別にあるのだろうが、ああいうところに入るとなかなか見ることができないのが玉に瑕である。

地味で目立たない、ように見えるが、「謎」の多い本こそ、その継承に意味はある。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.31 Wednesday | 21:05 | comments(0) | trackbacks(1) |
■ピリ・レイス〔レイス提督〕の「古地図」の意味するもの

42x60 cm boyutunda görmek için resme tıklayın
by Turkish Historical Society www.ttk.gov.tr

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は、あるときある場所からイスタンブールに向かっていた。ところで、飛行機の備品を何気なく壊しかかったこと、ってある?エコノミーの後ろの方に座らされて(詰み込まれて)、何とか座って何気なくその気なく、前の席に入っている雑誌を取ろうとした瞬間、のこと。
何と、バタっと音を立てて前の席が前のめりに倒れてしまったのだ。「うわああ」と声を殺しながら慌てて戻して、ふう、隣の席の後ろからまた取り出そうとしたらやはり、バタ、である。
寝たふりをするに限る、と思わず目をつぶった。たまたま乗った飛行機がそんな状態なのだ、と言い聞かせて。なあに、内部なんて座れればいいんだ、安全に飛んでさえくれれば、と半ば押付けがましく言い聞かせた、のです。

トルコと日本とは明治天皇の御世以来、すこぶる縁の深い間がらなのだ、そうだ。
ブック・エデン開業後にはその辺の書もご案内するが、東郷元帥と台風、紀州沖と連合艦隊の救助、がキーワードとなって多大な恩義を感じられている。
実際、店主の友人、ジャン・アクソイは最初店主を見たとき、「お前と俺は同じ赤い血が流れているのだ、だから今からは兄弟だ」と言った。唖然とするなかれ。

永遠の都という意味のイスタンブールは洋の東西を分かつ都市であるが、その歴史的悲喜劇は別の機会にして、15世紀に建立された

「探し屋・竜馬」の求める「謎の古地図」があるのだ。
「ピリ・レイスの地図」と言っただけで分かる人には、すぐにでもこの地図の複写と
多少の解釈をつけて限定販売したいくらいだ。もっともいくらも調べる方法はあるだろうが。
16世紀のその地図には「南極」が確かに載っている、という話だけを聞きかじって見に行ったのだ、十数年前に。
その地図には1513年、ピリ・レイス〔レイス提督〕艦長、とあり、コロンブスアメリカ大陸を発見した後、およそ20年ほどであるのに、実はその海岸線も鮮明に描かれている。
ましてや南極大陸なんてその発見は1820年のことなんだし、海岸線がはっきりしたのは前世紀に入ってからの話。何とも驚かせてくれるじゃないか。
しかもピリ・レイスのごく控えめな付記によると、「自分は一介の書写生」なのだそうだ。
それにもまして驚いたのが、書写した元が、かの敬愛する「アレクサンドロス大王」時代にすでに存在した、と言われる「マッパ・ムンデス」、その意味は「人間が住むあらゆる世界が指し示された地図」というものであるのだ。

呆れる、というかむくむくと好奇心がわいてくるでしょ。
店主はいずれ、その「マッパ・ムンデス」を手にしてみたい、と長年思い描いてきた。
7000年は経つに違いない、青々とした南極大陸、それを超高空から撮影したに違いないと言われる「ピリ・レイスの地図」。夢は果てどなく広がるものだ。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.31 Wednesday | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
■比較文化:「チャ」文化と「ティ」文化の時空回廊
guideistanbul.net


わが国でもおなじみの「お茶」は、4000年の歴史を誇るお隣の中国の文化から伝播されて根付いた文化である。が、その源流は何も4000年を誇るほどのことではなく、以前から古代オリエントの国々、その文明の中ではごく日常の飲み物として、あるいは医薬品として飲用されていた。
その交流は、陸地をたどり黄砂を撒き散らすタカルマカン砂漠をもやり過ごし、いわゆる「シルクロード」通って自然発生的にお互いの国々へ栽培の技術と現物を持ち帰ったことから、いっきょに広がったものであろう。
中国の「茶」は、モンゴルでもカザフスタンでも「チャイ」で通じる。
片や「海のシルクロード」を通る交易の道は、「チャイ」文化をアジアの諸国に持ち込んだ。っていうかあ、その辺に生えてる「葉っぱ」をいぶしたら「腹いた」が治った、とか「お茶」の持つ効能がたちどころに効いて広まった、というほどのものだ。
いずれにせよ、現代でも同じ音で通じる「チャイ」はアジアから中東で共通に通じる言葉であり、同じような飲み方で日常飲用されている。
あっつい地域では、やたら甘くする、という傾向はるが。

地図にしてみるとよく分かることなのだが、「チャイ」文化は誰にも受け入れられる、手軽な「文化」として喜びを持って受け入れられ、今につながっている。
戦があろうとも、ちゃんと「チャイ」の時間だけは守ったほど、なのである。

同様なことなのだが「ティ」文化は「植民地」運営の結果発見された、見事なまでに支配者側だけの「文化」的産物として、香を好む本拠地ヨーロッパに送られた。
現地の支配されたままの「原住民」が「チャイ」同様常用している「葉っぱ」をうまく「ブレンド」したものが「ティ」と発音されたと同時に「ハイソ」な飲み物に変容したのである。

先の大戦で一躍世界中に名をとどろかしたドイツのポツダムにあるフリードリヒ2世の館、「サン・スーシー」(嘆きをあっちへやっちゃって、くらいの意味かな)にはだだっぴろい庭の片隅に、わざわざ東洋ー中国から持ってきて作り上げた六角形の「ティ・ガーデン」なるものがある。金ぴかで悪趣味と言ったほうが早いくらいの外で「ティ」を楽しむ場所なのだが、この大王とて見ることもないオリエント文化に魅惑された、という訳だ。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主は、こうした脈々と生き残った文化の持つ共通イメージ、「生き残った言葉」にそれぞれの文化の、時空を越えた「回廊」を強く感じるのだ。「チャイ」は古代から、「ティ」は中世以降から、という縦軸たる時の異相も強く意味を感じる。
片や、その地に棲む人の手により継承され、一方は植民地運営の結果もたらされた産物として。
この差はあまりにも大きいがゆえに、今をもってしても解消できない文化的相違が世界には残っている。それを継承するわれわれは、とくと吟味する必要があるが、その前に「お茶」でも飲みますか?「お茶」がいい?「紅茶」にする?それとも、もうひとつの大きな奴隷制がもたらした、「コーヒー」にする?
店主・生橋竜馬
| 2006.05.29 Monday | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
●脇道話:美女の代名詞―それはネフェルティティ!
Nefertiti ; Egyptian Museum, Berlin


国境なき古本屋―ブック・エデン店主・生橋竜馬がかつて企画屋の前に貿易屋であった頃のこと、当然のことながら今でもそう言われるに違いないが、世界中で平均的に美女が多い国はベネズエラなんだそうな。
女性の大半がモデル学校に通う国柄だから、美女じゃない女性は皆無と言っていいに違いない。そこにちいちゃな、でも役に立つ「文房具のプラント」を出す話が舞い込み、一同「おおおおっ!」という声とともにがぜんやる気満々になったものだ。
惜しいことに、国そのものがモナトリウム(資産凍結・支払延期措置)を採らざるをえないほどに経済的逼迫状況に陥り、結局話はとん挫するわ、ショックは大きいわ、で、仕方なく酒を呑んだものだ。

ともあれ、今でもヨーロッパのあちこちで耳にするのだが、お墨付の話、エジプトの王妃「ネフェルティティ」が最高の美女なんだそうだ。その胸像がベルリンの「ベルリン美術館」(「旧エジプト博物館」がどうやら去年あたり吸収されてしまったのだ)に所蔵されている。その出来栄えはすばらしく、前14世紀あたりの正式な王妃できりっとした彼女の顔は確かに気の強そうなしっかりものを思わせる。

店主は数十年前(そんなになるのだなあ)、まだ壁が傲然と聳え立っていた頃、運良く入れてもらい、それ以来数回なぜか旧エジプト博物館を訪れている。当然、ベルリンには「ベルリン島博物館」があり、「ペルガモン博物館」があるのでそこに行くのだが、酔狂な人でもない限り誰もこないのか、角にちょこんと鎮座する「エジプト博物館」が好きで行ったものだ。

それもともあれ、美女・女性の代表、といえば「クレオパトラ七世」のことを指すものだとばかり思い込んでいた。ギリシャ以降には、無機質な中では「謎」めいている「ビーナス」が大勢いるが、首都アレキサンドリアに誇るもののひとつ、苦労人で知恵のあるクレオパトラが好きだったせいのは贔屓目なのかもしれない。
もっとも、彼女の本との姿は残っていない。ようやく海底探査が湾に入り、宮殿跡やら像の一部は引き上げられた。が、それでも、判断はつきかねる。あの「鼻さえもう少し低ければ」という評価は後世、よほどヨーロッパ女性の鼻が高くて参ったことによるから、当てにはならない。

ともあれ、ともあれ、一度ご覧になるといい。きっと「まさかだろ、へええ」と思うに違いなく、有体な感想を言えば、「きつね目過ぎ」と思うのだ。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.28 Sunday | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
■謎の民族「古代シュメール人」と現代人はあまり変わらない、の巻
Cuneiform Tablet UNESCO/ Mossul University in order to establish a High Institute for Cuneiform Studies and to revive the Assurbanipal Library


精確な発音でいえば、かつては「スメル人」と呼んでいたが、そのほうが原音には近い。戦前、スメラ尊と紛らわしいのはけしからん、というお上のお達しで、「シュメール」と言うようになったが、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主は、何とな音のく美しさから「シュメール」の方が受け入れやすい。しょせん、6000年以上も前に中東の砂漠の地域でわいわい生きていた民族のことなど、ほとんどの人にとってどうでもいいので、多少読み方が違っていても大きな害はない。
ただし、この「ス」の音と「シュ」の音をちゃんと区別しようとすること自体は、無意識の作業であっただろうが、実はとても「セム語」的な発音の違いを指示していることになるので興味深い。

また脇道にそれたが、この「古代シュメール人」というのが、ちょっぴりとしか資料を残していかず滅ぼされてしまったか、併合されてアッカド化されてしまったので、アッカド後の資料で読み取るしかなく、研究の余地があまり残されていない。
もともと今のイラクの山の方からやってきた、らしいというだけなのだからほとんど、後世の資料の中から読み取るしかあるまい。
それでも店主の乏しい資料の中で分かる限りで推測するのだが、たとえばこどもの教育問題にかかずらう親、ことにママの熱の入れようは半端じゃない。書記官になる、ということは国家公務員になることと同じなので、これは気合の入れようも違ってくる。韓国や香港、台湾の塾や小学校は今の日本の学校なんぞと比べると、それそのものが軍隊か、それとも店主の入っていたような施設か、と見まごうが、まさにシュメール人の教育熱はそんな感じがする。
たかが字を書くだけのために?と言うなかれ。確かに日本語も漢字・ひらがな・カタカナがあって大変だが、楔方文字(楔形文字)もけっこうなもんで一度試しに書いてみるといい。
「ブック・エデン―book-EDEN」が正式開店したら講座でも開こうか、と思うくらいであるが、ともあれまず教育問題。
そして続くは結婚問題。いつの御世でもおなじことの繰り返しだが、日本語風の風刺がいくつも残っていて、本とに6000年以上前の話しかね、と思ってしまう。
次会に別のテーマで少し触るが、上・下水道に関しても貴重な水を上手に使おうという跡がよくうかがえる。

「古代シュメール人」は謎の民族だが、われわれに残してくれた文明の遺産は大きい。神話的神さまの話にしても、押し付けがましい新興宗教的な格闘をみるより、なぜかおもしろい。もちろんだからこそ「ギルガメシュ叙事詩」のような秀でた最古の文学が、質的にみても最大級の内容を維持していたのを素直に認めることができる。なんたって、旧約聖書の編集者が拝借した素ネタになるくらいなのだから。
都市社会を維持する司法・行政がきちんと専門官によって施行されていたのも見逃せない。
ほとんど今と変わらない質程度の「市民社会」は動いていた、と想像できる。

たまにはどこでもいい、どの時代でもかまわない、見倣うべき先達の遺物を探しにいこうじゃないか。ブック・エデン―book-EDENはそのためにこそ店主が走り回る「探し屋竜馬が行く!」を始めるのだ。ぜひお待ちする。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.28 Sunday | 10:13 | comments(0) | trackbacks(2) |
■やけに地球社会が近くなったなあ、と感じた日!
The Great Pyramid of Giza, near Cairo, in a nineteenth century stereopticon card photo.

誰しもこんな感覚をもった経験があるに違いない。昭和30年代初頭の子供の頃を、泥にまみれて日が暮れるまでかばんをほっぽり出して遊び呆けていた店主が、バンコクの合弁会社を訪問したとき、その場所の周辺があまりに似ているのに驚いた時のこと。
小さなどぶ川が流れる前に、ソイ(路地なのだが、どうも地割り計画性に乏しいタイでは突き当たったきりどうにもならない、要するに抜け道だと思っていたのが、当てがはずれてあったまにくる、あれである)の奥にあるただでさえ狭い道ばたに、くっついているように建っている怪し気な建物のなかに、その会社はあった。
くらくら、とするほど暑いだけじゃなく、なんとはなしにデ・ジャブを感じたのだ。

数年後、たまたま知り合ったエジプト人のにいちゃんと、なぜか電話で話すことがあって、カイロからギザと何度もかけ直した時のこと。ちなみに、まあ誰でも知っていることではあるが、ギザにはクフをはじめ壊れかけたものも含め、いくつかの典型的なピラミッドがある。
何せ回線が悪いので、「はあ?もしもおおしい!」と何度も叫ぶように話すのだが、突然電話の向こうから、「にいちゃん、はよしてえなあ」「これ、なんぼや?」とかやたら賑わしい掛け声が聞こえてくるのだ。
なんだこりゃ、と思いつつ、「もしかして日本語じゃないのか?」
「ああ、分かるよな?俺にはちんぷんかんぷんだけど、ま、ちょっと待ってよ」
と電話をおいたまま、留守録機能なんてありゃしないから、やたら関西のおばはんの勇ましい値切りの掛け声が聞こえてくるのだ。
ちいっとも日本語なんか分かっちゃいないおにいちゃんなんだが、商いとなると人間、がらっと変わるものだし、勇ましいねえ。
「高いわ、なにゆうてんねん、まけや!」とおばはん。
「イッツ、ビトンや、無理無理!」というような言葉が、ちゃんとアラビヤ語じゃなく英語でもなく、わが国のしかも何となく関西弁っぽく聞こえてくる。
一段落するまで、店主は電話代のかさむのを恐れながら、飽きることなく聞き奉じていた。
「おまたせええ」の声には、正直ほっとした、店主のことなんかとっくに忘れ去っているものと思ったものだから。
「何やってんだい、そこで?」そこで、とはギザの聖なる?由緒正しきピラミッドのある街で、という意味だ。
「いやあ、お土産やの権利を買っちゃってさあ。そしたら買ってくのはにっぽんじんの、おばはんばっかでねえ。思わず聞き覚えたんだよ」
にやにやしながらそこで話しを一段落させたが、いやあ、地球ってこんなに狭く近くなったんだなあ、とふと感じた日のむだ話。
「国境なき古本屋―ブック・エデン」店主・生橋竜馬
| 2006.05.27 Saturday | 18:33 | comments(0) | trackbacks(1) |
■実は「トレジャー・ハンター」に成りたかった!の巻
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬は以前から世界の果てまで身を躍らせて行く「トレジャー・ハンター」、平たく言えば「宝探し屋」になりたかった。
実にどんなお宝も真夏の炎天下のジャングルの奥地か、極寒のさいはての地、山奥の人里離れた欝蒼とした森の中か岩場の陰に、さらには海底深くに眠っている。
近所の(なんてものがあったとして)誰も近寄りたがらないような「怪しい」場所にこそ、数百年、数千年とたった時の「権力・野心」たっぷりの誰彼かが隠した「財宝」は、こうした勇気ある「発掘」をじいっと待っているのだ。

店主は古代オリエントの地味な文字の、できが悪く片隅にいる、それでも学徒のひとりだが、考古学的発掘隊にはどうも血肉沸きあがる「燃える意欲」を覚えない。
おそらくピラミッド型に形成された「一団」の一番「偉い」先生のたかだか論文のために、足軽奴のように汗水垂らしてこき使われるだけだ、ということが容易に推測できてしまうからだろう。

トレジャー・ハンター」=「宝探し屋」という言葉の響きをよおく味わってみるといい。
およそ出るはずもない「徳川の」「豊臣の」「武田の」(なぜか「織田」がないねえ)埋蔵金をせっせと私財を投げ打って、なおかつ家族(なぜかそれでも家族がいるもので)には呆れられ、世間じゃ「変わり者」と呼び、それでもきっと「出る!」と信じて毎日(それがけっこうつつましく、しかも几帳面に「日課」が決まっているのが、なるほどなあ、と思うのだが)ぼろぼろの「地図」を片手に掘り返すのだ。それがいつの日か、自分だけのものになることを固く信じて。
言っておくが、「金鉱掘り」とは違うからね。あれは地球を相手に鉱脈を探り当てる作業でしょ。第一、ストーリー性がない。同根なのは「変わってる」という点くらいなものだ。

ともあれ、店主はそれにくらくらときて、きっといつかは世界の果てに行き、たとえばソロモン王の黄金の山を発見する喜びに気も触れんばかりになろう、と思ったのだ。


Ancient Egypt Magagine six April-May 2001

それが半分どうでもよくなってきたのは、まず、海底に眠るたとえばクレオパトラの像を探し当てることとか、難破船の黄金を引き上げるという話にたどり着いたのだが、店主は、何とまず泳げないのだ。海、の浜辺で蟹とたわむれるのはよし、としても、とてもじゃないが、海底探査に行けるはずがない。
店主にはこうして陸地しか「宝探し」の対象はいなくなってしまった。そして残る半分の「半分」を捨てざるをえなくさせたのが、実に「車の運転ができない」ということからであった。

こうして店主は、残り火の「野望」を、「古書の探索」という「宝探し」にすりかえた。
もしもどこかの山の中の修道院の地下に、未だに「古写本」が眠っているとしたら、
どうせ相手は無欲の抜け殻のような老修道士ばかりだ、日本製の(今時あるのかねえ)デジカメでもお土産にあげて、「強欲の権化」の店主のからだに巻きつけてでも持ってこれる。これだ、と思ったのだ。
シュリーマンエヴァンスのように超有名になってはいけない。あれこれ、ないことまでも暴かれて大恥をかくのが関の山なので、こっそりと「知の宝探し
に興ずる、これこそ店主の見出した大いなるトレジャー・ハントである。

閑話休題―ブック・エデン「book-EDEN」では、この強い店主の意志を受け継いで「探し屋・竜馬が行く!」というカテゴリーを始める。ぜひ、ご利用を!
店主・生橋竜馬
| 2006.05.26 Friday | 21:52 | comments(0) | trackbacks(1) |
■日本語と古代へブル語が似ている謎、の巻
Harvard University Department of Near Eastern Languages and Civilizations

レオナルド・ダ・ヴィンチ国境なき古本屋―ブック・エデン店主・生橋竜馬もだあいすきな天才型の変人のひとりだが、彼が冗談のように書き残した断片に、アメリカ人は創意工夫をこめて「ダ・ヴィンチ・コード」として上梓したところ、すでに700万部も売れている、という。満を持して映画化したところ、世界中のあちこちで反響はすさまじく、まあ、宣伝効果はあったのだから「興行的成功」とは言える。

残念ながら店主は読んでおらず、滅多なことは言えるものではないが、暗号化されたものの解読なんて地味で分かりづらいはずだ。素材としては今後も消えることではないから、興行的継続の意義はあったというくらいの話だと思う。
パウロが作りあげたキリスト教という組織は、世界に伝播されるに従いマリア教となり、今さらヴァチカンも、この程度のことでざわめくとも思えない。
20世紀最大の発見のひとつ、「死海写本」の謎解きですら、あいまいなままにしているのだ。もっとも、砂漠の向こうで何が起きていたか、など、はるか東方の彼方にある日本では、そんなものか、というくらいだが。

もともと神道も仏教もまぜこぜにして、今日はどっちにいけばいいんだろ、え、ここってお寺なの?神社じゃないの?お賽銭あげちゃったけどいいのかなあ?というくらいが、農耕民族・日本ではごく当たり前の光景なので、アラム人・イエス(イエスス)がどういう意図でそこそこ力を保有していたユダヤ人と対峙したか、見当がつかないのが普通である。

ところで店主はある雅楽師への讃歌として、ダ・ヴィンチの楽譜の謎も出てくるし、聖徳太子以来の側近であった「シリアからの帰化人」秦河勝一族がその後世界に残した足跡を、ドイツの考案した暗号解読機「エニグマ」を再利用して解いていくという作品を書いている途中である。
それはいつか陽の目を自ら見させてやろうと思うからここではおいておくとして、どうも世界中の歴史時代の中で、いわゆる西暦でいう中世までは見えないことが多すぎる。
分析・考察するための資料が圧倒的に不足してしまっているため、推測・憶測・果ては想像でしかものを言えないため、さらに地味で手付かずになっている。

そんな中、聖徳太子という人物が摂政をしていた時代が、やけに明るいのである。きっと世界地図があり、河勝とその仲間の行動力によって山のような情報が集められていたに違いない。
今の中国を抜けていわゆるシルクロードを通るか、海のシルクロードを航海するか、どちらもあったに違いない、短い期間ではあったが、多くの交流が実際行われていた。こうした「事実」は、やはり「暗号化」されて今日にも残っている。
もともと聖徳太子、それ以前って何人なんだろ、と思うと、ははあん、と氷解することも多い。

今日のお題―肝心なことはまさかいつも以心伝心と言うわけにはいかず、共通の言葉は何か、という疑念である。古代ヘブライ語を少しでもかじった人ならピンと来る、はずだ。
日本語とよく似ているのである。店主はどちらかというと、この点の方がよっぽど関心があり、なぜこんなに似ているのか、という恐ろしく単純な疑問から、「聖徳太子・世界王国の夢」を勘案した。言語的類似は、そんな偶然なものじゃ成り立たない。

はるか古代では、類似した文明が地球世界のあちこちで起きた、と思われがちだが、それも古代地質学の視点からみれば、「同時発生」ではなく随時移動の成果なのだと考えられる。
ただ、聖徳太子の時代はそれほど古い時代の話ではない。砂漠の向こうと東方の島国の行き来は、フェニキア人の航海術をもってすればさほどのことでもない。もしもご興味のある方がいれば「ブック・エデン―book-EDEN」開店後、いつでも来てほしいものだ。

残念なことは、こういうお話も、きっと日本中に散らばる、アブラハムやモーセの墓とおんなじように笑い飛ばされて、しーん、ということになるのかも。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.26 Friday | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
■お気に入りの時間_Un jour à Paris_02
| 2006.05.25 Thursday | 19:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
■「雑草」という名の花は決してない!の巻
以前、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」が開店すると、その中にブック・エデンカフェ「ボタニカ」というカテゴリーを設け、お茶「薬種茶・紅茶」でも味わいながら(正確には「買っていただきながら」)、数世紀前からちょいと前までの植物にまつわる本を買っていただこう、という趣旨を話したが。

なぜか古くからごく当たり前のように、「雑念」「雑貨」「雑布」「雑文」(これは店主、耳が痛い)、「雑草」というように雑多な概念がまかり通っている。ひとつひとつの検証が、面倒くさいので、大雑把にくくって該当する「これ」「それ」「あれ」を言い当てているのだ。
どうやらしっかりとその意味、概念の客観的蓋然性と古い「認識論」では言うのだが、なに、そんなものはなくとも、あるいはなんのことやらさっぱりでもいいのだ。

が、店主は寂しいのだ、という台詞でひとつのことだけを言いたい。
「雑草」はないでしょ、という極めて植物側に立った物言いなのだが、めんどくさけりゃすっ飛ばして読まずともいいような話ではある。
花、というと、まずランがあげられる。バラも極めて慎重に語られる。さつきも菊も「うるさい」御仁が多い。
ガーデニングという趣向の輸入によって、店主の知らない多くの花が咲き乱れているのは、別に嫌いじゃない。イギリスのチェルシーにもある企画を立ててそのガーデニング・コンテストの模様を見に行ったこともある。

だが、しかし、だ。
道端にこそっと、でも頭をもたげて咲き誇るあの花は何ていう名前なんだろ、とは思わないか?
ちいちゃな庭と呼ぶにもおこがましいコンクリートと家のはざ間で、しっかりと根をつけた花を、こうるさいからというだけで引っこ抜く時、この花はなんていうんだろ、と思うと急に抜けなくなってしまう、のではないだろうか。

植物は眠るのだろうか?高山でも海辺でもジャングルでも砂漠の石ころの影でも、なんだか知らないが、生きて花を咲かせている。大都会が24時間眠らなくなった街、というが、植物はそれこそ何億年もそんな生き様をしているのだ。

だから、そのひとつひとつに名前がきっとあって、即ち大昔から「変人」と言われ続けようとも、植物のどれそれはこうなんだ、とラテン語の学名を課し、覚えやすいようにその国の言語で名づけられている、はずだ。

店主は言いたい。「雑文」はやむをえない、甘んじて受けよう、でも「雑草」は余りにも可哀想じゃないか、と。アンリ・ファーブル大杉栄の翻訳によってわが国では親しまれている。多くの学者が今や研究書を出し解説しているが、それは「昆虫記」のことである。この話はいつでも開店後する予定なので来ていただければうれしいが、ともあれ、「植物記」を忘れてもらっちゃいやだよ、というだけの話。

「花」は顔を近づけて、「きれいに咲くんだよ」と声をかけてやるといい。人間の言葉なんてささやかな変化なのだから、きっと本当に美しく咲こうとする。
世界中の多くの地で「花」の美しく咲く時期がきた。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.25 Thursday | 19:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
■幻のオリンピック・候補地を想う、の巻
今年2月、ついこないだイタリア・トリノで行われた「冬季オリンピック」を感動や歯軋りをしながら観たものだが、実は国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」「店主・生橋竜馬は貧しいながら企画屋のはしくれで、12年ほど前のこと、仲間とふたりで渡欧した時の話。
その時の目的のひとつが「2000年・夏のオリンピック候補地」を回ろう、というものであった。
前776年の頃、すでにオリュンピアのお祭りで数多くの競技が催され観衆もそこここの会場に埋め尽くした、と言われており、どの時代でもいずこの国でもお祭り騒ぎが好きなのは変わらない。ちなみにその頃、砂漠のどこかで旧約聖書が編纂されている。

110年前、クーベルタンが企画した近代オリンピックの変遷についてはどこかでごらんになっていただくとして、店主と仲間の目的は高尚なものではなく、「どこかが決まればどこかは落ちる、その辺の機微を見て回ろう」というミーハー的なものである。
その頃、手を上げていたのが「スコットランドのマンチェスター市」「ドイツのベルリン市」「トルコのイスタンブール市」が行く先々にあったもので、そこを回るためにスケジュールしたようなものであったが、とまれ歩き回って捜し尽くして当地のオリンピック立候補準備委員会事務所のようなところに顔を出した。

結果的に金をばらまきすぎた北京も落っこち、シドニーに決まったのだが、それが分かったのは帰国後で、何だかなあという気はしたものだ。それぞれの地では、資金の差があからさまで「本気で手をあげたのかねえ」と首をかしげる国・地域もあったが、それなりに「オリンピックのマーク」入りでキャラクターによる宣伝合戦を行い、そこそこの効果はあったように見受けた。
もともと国力の差が生み出す環境整備はいかんせんものがあったが、「止むなし、でも決めてあげたいなあ」という人情に触れる「誘致合戦」を表面上、眺めただけに終始したのだが。

ソウル・オリンピックは周知のことであったが、山のように買ったりもらったりしたキャラクターグッズを眺めながら、ふと、これまでもきっとこの何倍、何十倍かの国・市などの地域が、オリンピック参加誘致の手を上げてきたのだろうと気づいた。
先の大戦では、惜しくも東京オリンピック開催を逃した事例がわが国にもある。
1896年以来のそういう幻に終わった「オリンピック候補地」をぜひ一度集めなおして、展覧できるような企画を立ててみたい、と思いながら誰も相手にしてくれない。
ここでは「純な」スポーツ精神なぞ求めてはおらず、飽くなき経済的追求のマジ顔と、落選してがっかりした時の「敗残物」が残るだけなのである。

こんな程度が実は、実践理性批判なのではないのかな、と店主は思うのだが、カントが化けて出るやもしれず。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.25 Thursday | 12:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
■お気に入りの時間_Un jour à Paris_01
お気に入りの時間
| 2006.05.25 Thursday | 09:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
■サハラ砂漠への飽くなき憧憬、の巻

by Hansjoachim von der Esch, document the early 1930s

大正12年(1923年)3月、「少女倶楽部」に、叙情詩人にして叙情画家・加藤まさを作「月の砂漠」が掲載された。MDもCDもない頃のこととてすぐに佐々木すぐるの手によって作曲され、今日に至っても淡い叙情ははかとなく心を揺さぶる。実際に、砂漠を見て作ったのかどうか、という脇話はここでは意にせず、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬も幼少この歌をラジオで聴いて育ち、小さな胸をむずむずさせたものだ。
ちなみにその年は9月、関東大震災が東京を中心に襲った年でもある。

店主はオーストラリアの砂漠にランチボックス付きで数時間かけて4DWで連れられたことはあるが、そして数億年前から続く荒涼たる風景にぞくっとはしたが、本とに行ってみたいのはこういう砂漠じゃないな、と直感した。

そう、たとえどんな大変な思いをしたとしても、一度は「砂漠」に行ってみたい衝動にこの数十年間かられたまんまなのだ。なぜか?砂漠なんて東京にいればじゅうぶん―「東京砂漠」というくらいなんだから、という人にはお薦めしない。
砂漠にも種類はあって、多くは石ころばかりの中に「さぼてん」の枯れかかったような、どうやって明日までいきていくつもりなんだろ、と思うような植物が多い、荒れ暮れた地を言う。たいていの古い宗教はあるいは古代文化はこういった地に根付いている。

パリ―ダカールに見るような、女性飛行士エアハートが行方不明になったような、微細な砂の舞い上がる砂漠は、サハラといえども少ない、らしい。そこにこそ行ってみたいのですよ。
なぜか?

フランス陸軍の遊び人将校であるシャルル・ド・フーコーが憑かれたようにサハラの地に入り、そこで惜しむらくは殺されて生涯を終えるのだが、その仲間たちに何となく居候のようにおいてもらった恩義に報いてないから、なのだ。
森本哲郎氏はその著「砂漠の回廊」の中で哲学出身らしく砂漠の論理をとうとうと語っている。古代オリエント言語学者の矢島文夫先生は、今のイラクでの発掘作業に携わり、なぜ楔方文字なのかを、アラビア砂漠との比較でお話される。作家曽野綾子氏はやはりサハラへ行きたい、という衝動にあっさりと負けて、経験豊富な仲間と山のようなたまねぎと共に体験されている。
by Hansjoachim von der Esch, document the early 1930s

はあはあ、と聞けば聞くほど、店主はやむにやまれないサハラへの誘惑に負けたい、と思う。なに、そんな奥地に行かなくてもいい、サン・テグジュペリじゃああるまいに、何も好き好んで飛行機を飛ばして落っこちなくてもいいのだ。ほんのちょびっとの、あの
さらさら?の砂の上で、ちょこっとだけ「大の字」になって寝っころがりながら、ふと本気で田舎町の片隅で思考を続けたカントのように考えてみたいだけなのだ。

動機もきっかけも不純だ、ましてや甘っちょろい。それでもいつかきっと役に立つ仲間を連れて行ってみたい、と思う。何せ、店主は自転車に乗るのが精一杯なので。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.24 Wednesday | 18:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
■最初に渡欧した日本人は誰?の巻
京都大学付属図書館蔵 『天正遣欧使節肖像画』Newe Zeyttung auss der Insel Japonien"(1586年)
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主が今さら言うまでもなく、遣隋使が往航する以前、聖徳太子のご時世では蘇我氏の奔放な活躍もあって、はるか天竺まで視野にいれた国際経済・文化活動は盛んであった。
そういう交流の場面が手に取るように分かるのも、千数百年後の今だからこその話だ。要は「地球社会」は交通手段やら情報手段の格段の発達で、限りなく狭くなっているからだ。

では、最初にヨーロッパに行った日本人は誰なのだろ、というような話はつまらない?
数百年後、種子島に難破船がたどり着いた後、第一義の目的は経済的封鎖なのだが、ぞろぞろと欧州から船団がやってくる。九州に最初にたどり着くようにできているのだが、恐らく当時の九州は「外人さん」の山で、それにしちゃ今ほど石になって固まらず、通じてたんだろうから不思議なものだ。
もしも織田信長に飛行機でもあてがったら単独でどこにでも飛んでいき、そこここで信長らしき名前を残しただろうに。しょせん、「夢物語」ではあるが。
それより、アレクサンドロスにもう少し落ち着きのなさがあって、無鉄砲に足を伸ばしていたら、きっと不明確な「大和朝廷」に足跡を残し、その名の名残はいまだに残っていただろう。

ともあれ、1582年信長の天下の時代に、イエズス会士バリニャーノ師という企画屋によって、主に九州の大名の親戚、縁者の子供たち4人が集められ、「天正遣欧使節」という使節団が構成された。まあ、想像するに耐え難い海の難関を航海し、ヨーロッパの地にたどりつき数年間を送るのだが、詳細はブック・エデン「book-EDEN」開店後にでも来ていただければいい。子供たちには別段,天皇の親書が持たされているわけではない、ただ「王の使節」というだけのことなのだが、そこはバリニャーノ師の策略(いや知恵)で、時の教皇にまで拝謁した。

京都大学付属図書館蔵 『天正遣欧使節肖像画』Newe Zeyttung auss der Insel Japonien"(1586年)

そういう記事がおよそ90誌・紙に載ってヨーロッパ中を駆け巡ったのだからものすごい。グーテンベルクが活版の印刷技術を開発したのが、およそ140年ほど前のことだが、既にベネツィアは印刷屋の中心地となっていたほどで、今と大きく違い「印刷屋」の小僧にでも弟子入りすれば、尊敬のまなざしで見られた、と思う。いずれにせよ、ヨーロッパのあちこちで、はるか彼方からやってきた4人の坊やたちは、美しい挿絵入りで紹介され宣伝されたのだ。

Iaponiorvm regvm legatio, Romae coram summo Pontifice, Gregorio XIII. 23. Martij, habita, anno 1585.

Iaponiorvm regvm legatio, Romae coram summo Pontifice, Gregorio XIII. 23. Martij, habita, anno 1585.
Romae: F. Zannetum, 1585. 1 v. 4°その後の数奇な、涙なくしては語れない4人の物語は後で買っていただくとして、実は店主は本当にこの4人が最初に渡欧した日本人なのかな、と疑っている。
さかのぼること、聖徳太子の御世には実はごく普通にシリアの方からも「帰化人」がやってきていたのだ。やってきた、ということは向こうにいったと考えるのがごく自然で、アッシリア語を話す日本人はそこそこいたのだと思う。
まあ、だからどうだというのだ、と言われると返す言葉はないね。結局ごちゃごちゃになって今に至っているのだろうから、どうということもないかな。
そういってしまうと、ダ・ヴィンチの謎だろうとなんだろうとどうでもよくなってしまう。
謎解きを、ただの感覚じゃなく、ある程度の学問的な根拠付けを入れながら語ると、きっと「もしかしたら」と思うのであるよ。

この辺の話、本気で聞きたかったら、いつでもブック・エデンに来てください。本気で語る、ということは実は相当呑まないと語れない、ということでもあるが。

閑話休題―実はこの文章、一回消しちゃって書き直している。あ、と思う間もなく消えちゃうのだから、店主のような「超アナログ人間」にとっちゃ、驚くばかりなのだが、ふう。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.24 Wednesday | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
■ギルガメシュ叙事詩の世界展、企画中の巻

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」は路傍の、いやネット上での古本屋なのだが、企画屋でもあるし貿易屋でもある。マーケもやればSPもする、といった狭い世界で通じる用語は知っている。
「ギルガメシュ叙事詩」と聞いて、ほお、と思っていただける方がいれば、それは喜ばしい限りだが、ほとんど誰も知らないこの店主・生橋竜馬の話ではなんのことやらさっぱり、というのが並である。
世界最古の叙事詩であり、永遠の生命を追い求める男の友情物語でもある。ついでに言うならば、昨今スマトラ沖で大津波による大災害が起きたが、あの「大洪水」の原型であり、また狭い分野でよく知られている、旧約聖書の創世記の後ろのほうに追記された「ノアの大洪水」の物語のネタなのである。

妙に共通するのは、「大洪水」の物語の断片は、両者とも最後に追加されて書かれた、ように見える。旧約聖書は前8世紀ほどの編集と考えると、さほど古くなく、元の「ギルガメシュ物語」はその頃ですら、古代の「逸話」「伝承文学」と考えられたに違いない。

「ギルガメシュ」は、人物の名前であり、古代シュメール語である。この民族は最近研究が進んではいるが、何せイラクがあんな状態で誰も発掘やら調査の推進ができる風ではない。
アッカド語(アッシリア語・バビロニア語)によって残されたものを、われわれは読むことができている。
それもほんの150年ほど前に解読が進んだにすぎず、誰もその存在をしることはなかった。
わが国でようやくこの「ギルガメシュ叙事詩」が陽の目を見ることになったのは、わが師(と勝手ながら思い込んでいる)、古代オリエント言語学者、矢島文夫先生の孤軍奮闘による10年の歳月の賜物である。
矢島先生の翻訳は、編集者の経験のせいか、学者そのもののせいか、あらゆる解読の可能性を一行づつ当てはめて、その中で最も正しい、と思われる文字解読を見つめながら、日本語化したところだ、と考える。

店主は大英博物館、アフリカ担当のアーヴィン・フィンケル博士にせっつかれながらも、楔方文字解読150年を記念し、矢島先生の監修のもと、仲間と一緒にこの展覧会を企画している。
店主は、矢島先生からいただいた、1921年版、サミュエル・マーサー教授の書かれた「アッシリアン・グラマー」を読みながら、コピーをいただいた「ギルガメシュ叙事詩」の原文を眺めている。金きら金のネックレスが、王冠が、指輪があるわけじゃなし、ただ6000年程前の先輩たちが残した「文字文化の遺産」をちんと伝えたいだけの話なのだ。

どうも話がこ難しくなったきらいがある、か。甘んじて受けるが、この先もこんな話もしながら、もしもその「原文」を売りに出すようなことがあれば、ぜひともその中にいたいもの、という甘い商売っ気もたっぷりなのだ。

どこかの奇特な人よ、ぜひこの展覧会企画にご賛同を!
店主・生橋竜馬
| 2006.05.24 Wednesday | 18:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
■「文字(文化)」はきっと剣よりも強い、はずの巻
1990年頃の話だ。国境なき古本屋―ブック・エデン(book-EDEN店主・生橋竜馬)は中東のどこかの国のどこかの街の片隅で、石のように固いパンをほおばりながら、きっと21世紀は「食料危機」に見舞われる、なぞと呟いていた。

脇道にそれるが、人間の一番醜い風体はしゃにむに口をあんぐりあけて、食い物に喰らいついているときの顔だ、とは「食糧難」に縁のないヨーロッパの幸せ者の言だが、店主も幸か不幸か幼少から、口をあけて食べないの!としつけられてきたもので、醜い顔にならずほっとしている。
もちろんどこででもそんな光景は見かけるものだが、そういう大きなお世話で注意はしないことにしている。なぜか、当の本人はこの上なく満足気な顔をしているからだ。

翻本横道(どうでもいい話から本意に戻ると)、当時から相も変わらず「貿易もする企画屋」で地べたをはいずるようにやってきたが、きっとこの地球には60億になんなんとする人間やら他の生物を養う糧はなくなるに違いない、と思うと、それでも「文字文化」なのかあ?とつい叫んでしまう。
食料危機、の構造は誰でもちょいと考えれば分かるように、決して食べるものが、医薬品がなくなったから、などというものではない。ただ、単に食糧難に襲われた国、難民キャンプに、いくら食料・医薬品を送ろうとも末端のそこで飢えている、子供たちやら老人にはたどり着かない、ということによる。
そういう生きるか死ぬかの瀬戸際にいる場所で、「文字文化」云々は論外で、黙ってパンのひとかけらを一緒に食べるか、立ち去るに限る。

そういう弱者の論理はじゅうぶんに分かりつつも、声低かろうとも「文字文化」の継承を店主は叫び続けたい。それはどんなに焚書や戦や事故や天災にあおうとも、ささやかなわれわれの先達が残した生きざまを、書物という形で知らぬ間に継承し続けてきているからだ。日本の大学生が本を(教科書も含めて)読まなくなったから、出版社の存命のためだから、新聞社、製紙会社、印刷会社、ましてや苦虫を噛み潰しているだけの古本屋の親父などのためではなく、剣に立ち向かうために必要だからである。剣は銃に代わり、あ、という間に、書物は引き裂かれることになるのかもしれない。

が、しかし、人が生きるってそんなものでしょ。
色んな形で、書物は残っている。楔方文字の焼きレンガに、パピルスに、羊皮紙などに、そして大量配布が可能になった、紙に印刷して。しかもあるときから既にほほ900年間、四角い形で紙をめくって読む、そのスタイルに。一緒になってぜひ継承活動をしましょうよ。
なあに簡単なことです、国境なき古本屋―ブック・エデン(book-EDEN)が開店したら殺到してくださればいいのです。
店主・生橋竜
| 2006.05.24 Wednesday | 18:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
■アレキサンドリア大図書館の遺品の謎
店主・生橋竜馬が国境なき古本屋―ブック・エデンをどうしても開業してみたい、と思うにいたった最大のきっかけは、このエジプトにはカイロの西にあってユネスコやら各国の支援で再館なった、アレキサンドリア大図書館の火災による消失によって一切合財の巻物が消滅した、という「事実」に素朴な疑問を持ったからだ。念のため言っておくが、当時はこのパピルスの巻物が主流なのです、当然バビロニアなどの煉瓦に引っかかれた楔方文字の作品群も当地では存在していたが。

アレキサンドリアは当時(と言ったっていつのことなんだい、と言われそうだから説明しておくが、その名の通り、アレクサンドロス大王(ギリシャ語読みで、人名なのだからこれが正しい)の残した都市で、その逝去後部下のひとり、プトレマイオス1世が継いだ前200年頃が隆盛を高めた、ヘレニズム文化(中学で習ったはずなんだが、ま、誰も覚えちゃいない)華やかかりし頃に本館ができ、あまりに蔵書が多くなったため分館を作ったほどの大図書館なのだ。
蔵書数は現存の文献でもあいまいで、40万巻とも70万巻とも推測されている。何度も言うが、今の本という形式―ぱらぱらとめくっていく形式ではなく、巻紙を広げていく方式で少しづつスクロールしながら読んでいく。PCの画面と似ている。

大きくは2回に及ぶ侵略に遭い、消滅したと言われているのだが、どうだかねえ。
店主はそりゃないだろう、と直感したのだ。いくら大火災に見舞われようとも持ち出す人間はいるはずで、それがルーブルやら何やらに残っているだけでは、すまないだろうという気がした。
多くの哲学者、地質学者、数学者を輩出し、それをわれわれは日本語で読むことができている。
所蔵の全部がオリジナルだけとは限らないにせよ、それにしても文字文化の継承はある程度きちんとこなされてきている。保存方法にかなり無理があったとしてもだ、今もどこかの誰かさんの地下の部屋に眠っているに違いない。たとえ幾度なく戦火に見舞われた地域、ヨーロッパがあれだけ頑丈な地下倉庫を限りなく作っているのには、その保存に気を使った証左に違いない、と思ったのだ。

ヨーロッパの図書館は建築学的に見ても「美」そのものである。しかもウンベルト・エーコではないが修道院の図書室がそのまま残っている事例も多い。
今になってしまえば、ラテン語の読み書きもままにならない、ましてや古代語なぞほったらかしのそういった修道院の地下や、コレクターの原爆にも耐えうるシェルターがそこそこの数の巻物を、大事に守ってくれているのではなかろうか。
いつの日か、店主は秘かに隠れたアレキサンドリア大図書館の遺品を扱うことを夢見ている。ぜひ、もしかしてそういう巻物を―ギザ辺りのお土産品じゃなくって、ねー処分したくてしょうがないと思っている貴方、ぜひご一報くださいな。
店主・生橋竜馬
| 2006.05.24 Wednesday | 18:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
■AZTEC Herbal 翻訳プロジェクト
いきなりではありますが、面白本を見つけたので、日本語化作業中。

詳細はこちらをクリック

よくある、ローズ、ハーブじゃないところがミソ。そういうのが好きな人がいっぱいいるのはわかった上で、あえて。。
| 2006.05.24 Wednesday | 18:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
■緊急宣言!国境なき古本屋―ブック・エデンは法人化します
国境なき古本屋―「ブック・エデン」を単体で考えるのをやめにしたのが、年頭かなあ。
店主はもともと企画屋であってたまあに展覧会などの、いわゆる「文化事業」の片隅にもいる、さらにはささやかな貿易屋、つまりは世界に君臨する古いタイプの「古本屋」の親父、と変わらない。だからこそ、新しい仲間の手を借りて新しい?タイプの「国境のない」古本屋を作ろうかな、と思ったのだが、実は「やりたいこと」なんてみんな山のようにあるじゃないか。
その中で、「化け」そうに勝手に思うこと、あるいは、これからも増え続けていくだろう新しい「仲間」たちのやりたいことを、実現できそうにするには、と慎重に考え抜いた挙句、会社法の改正を使って、法人化することに決めたのだ。

言うほど大げさなもんじゃないが、何せ資金がない。恥ずかしい話、亡き両親がささやかに残してくれたお金も何も使い果たした。それどこじゃなかった。「新規開発」という言葉に極端に弱く、猫にマタタビ、のようなもので、湯水のごとく使いまくってしまい。反省しなきゃ嘘でしょ。
で、今回はものすごく慎重になって、しかも店主の魅力だけで資金を集めようとしても無理なのは承知の上で、今もみんなに、貴方にも泣きついているのですよ。

閑話休題―古物商の申請も法人化してからにすることにした。いつの日か、この手で数多くのビーナスを扱ってみたいもの。待ってろよ、ビーナス!
| 2006.05.24 Wednesday | 18:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
■WEB古本屋の限界と無限な可能性を一考するに

国境なき古本屋―「ブック・エデン」にはもともとどこそこに行けばいい、という店がない。前の会社に勤めていた頃から、実は「文字文化の継承を!」とちいちゃな声で叫んではいたのだが、実現の可能性はまったくなかった。店主の自業自得―結局人間はいつかこういう反省と事実を謙虚さでいつしか受け止めないとカントにはいつまでたっても追いつかないってことなんだが、ともあれ、ひとりぽっちになってみるといつしか新しい「仲間」ができてくるもののようだ。
「店」−ベルグソンの「場所」流に言えばどこにもあってそこにはない、という何だか「禅問答」のような「店」を、店主はWEB上に求めたのだ。どんな商いにするにせよ、結局「こらえ性」がないので、3日と続かない、とは分かっていた、だからという点でもWEB上で、と思ったのだ。

既に多くの人がこういったWEB上での「古本屋」にも参画し、個性をうまく使って商いにしている、という。この店主も、ま、そこそこに生きていければいいのだから、そういう中に入れればいいかな、と安易に出店するつもりでいた。
ささやかな1000余冊の本はきっと売り切れることもないが、多少はもの珍しいもののあるはずだし、買い入れることで何とかなるかな、と思っていたのだが、どうやらそんなもんじゃないらしい。まず「現物」がせいぜい写真でしか確認できない、ブック・オフのように廉価なものが山のようにあればそれもよし、対抗する気はないのだから、じゃあどうする?解消点は、ただ古本屋を開業するだけじゃだめだ、ということに落ち着いただけだ。だから、ひとつのカテゴリーには、ブック・エデン・カフェ『ボタニカ』(植物)を開店し、「美しい本」を眺めながら、お茶をいかが、という「場所」を開く。さらには世界中の中から、ちょいと話しが通ずるところと組んで『探しや・竜馬が行く!』をカテゴリー化する。ひょっとすると中世以前の写本も探し当てるかもしれず、乞うご期待、かな。
店主・生橋竜馬~そうなのだ、店主は名乗っていなかった、こんな失礼な話もないのできちんと明かしておきたい。以後お見知りおきを!
| 2006.05.24 Wednesday | 18:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
■「国境なき古本屋」―『ブック・エデン』」コンセプトに関して
ダロウの書:675年ごろ……山のようにやってみたい事業の中で、この『ブック・エデン』構想は、極めて「純」な気持ちから起こった起業である。けだし、「文字文化」の純然たる継承をわれわれの世界の中のみならず、次世代につないでいこうという発想から起きたものだからである。

古代オリエントでは、片や「楔形文字」を創造した粘土板での継承とパピルスへの「象形文字」の筆写と保管という形での世代間の自然な継承があった。

こうした粘土板と、それがすたれたあとも続いたパピルス文化の後、アレキサンドロス亡き後のこと、ひょんなことからわれわれは「コデックス」と呼んでいる、いわば現在の四角いページを繰ってめくる「本」の形式を手に入れることになった。このことだけで、紀元後ほぼ100年程で滅ぶペルガモン王朝は大きな遺産を残す栄誉に預かったのである。

写本、が長く続いた後、またわれわれは今に至る画期的な革命に出くわす。印刷技術の開発による大量な複写の可能、という一大事がそれである。

その間起きたさまざまな出来事は、『ブック・エデン』をご愛顧いただければ自ずと知れることであるが、現在、そして未来に向けてわれわれはまた新しいコンピュータ化の波にもまれて、書籍というか本というか、いずれにせよ文字を書物にして味わう文化が総じて危なくなってきた、という感が店主にはある。

本というもの、の第一義は書かれている内容が吟味されるが、さらに装丁という形をデザイン化した技術も書籍そのものの継承には大きな意義がある。

本『ブック・エデン』の誕生までにはまだ幾分か時間がかかる、それはせっかく始めるのであれば、できうる限り 珍しく、資料的価値の高い書籍、本をご紹介し、取り扱いたいからである。

数十年間の短い人生の中で、何でも紙に印刷されたものが後世に残る必要はない、ということだけは、この店主にも何となくわかったような気がする。

では、その区別はいったい誰がどんな基準をもって世間に提示するのであろうか。

店主は出版者でもなければましてや書物の善し悪しをなぜか判断する木っ端役人でもない。

この私の趣味的と聞こえればそれでよし、さまざまな分野で、この店主・私が畏れ多くも勝手に判断して取り扱うのである。それはプレゼンに似ているが、この提案は「売れた」「売れなかった」という、あなたの極めて素早い行動によって決まってしまうので、誰も案ずるほどのことはない。

「国境亡き古本屋―『ブック・エデン』」は、できる限り「文字文化」を感じる書籍類、本にまつわる物を扱うことに自然となるに違いない。その時は、発展的に他業種の店舗をまたご提案することになる、と確信する。

■『ブック・エデン』のカテゴリー構造:

1.いわゆる総論
商い、という意味からは決定的にまずい筈なんだけど、「サブカルチャー」という分野に極めて弱い。早く言えば、そういう「ジャンル」があることすら、ま、知らなかったといった方が早いくらいなのだ。でもきっとただ「こだわる」だけでは成り立たない、しかし見捨てるには忍びない書籍があるはずだ。そういう意味からも、この「総論」的な、いわば大雑把なくくりは、どうしても逃げとして、作っておきたい。「総論」が堅苦しかったら、「おおざっぱ」でもかまわない。

辞書などはここに入れておくべきか、ありきたりで「や」だな、とも思う。

2.世界のあちこちから:  
できる限り、国別にかたまりを作りたい。きっとそれこそ「カテゴリー」別に区分けするべきだ、とは思う。はじめはとにかく誰もが言う。「昭和の初期じゃああるまいに、このご時世に洋書なんて売れるものか」という世間の常識に挑戦しよう。店主が選ぶ書籍には、どこの国の本であれ、きっと「へええ」という意味が隠されていることを読者、「ブック・エデン」のファンは、存分に堪能されるはずだ。

ここに書物の産みの親がいた頃の本が並ぶようになれば本望だが、まあ、それは高望み、かな。

3.キリスト教の世界を中心にした書籍類:
何はともあれ、バチカンを中心に世界中の修道院、教会に眠る本をお見せできるといいが。どうせこの国では、めざしの頭でも成り立つのが、税金の対象外たる宗教であり、そこに関わるビジネス、とされている。であるから残念ながら新し目の宗教が作り出すご利益本は扱わない。言語的には、死語、とされる各語がわんさか出てくるはずだ、これくらいでしょ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3兄弟が長い歴史の末に一緒に手をつないでお見せできるのは。

4.古代オリエントを中心とした批判的に歴史に絡む書籍類:
と大上段に振りかぶっても大概は無理な話なのだが、「ブック・エデン」が積極的に扱う本は、史料的価値のある本、眺めていても飽きない著者、へええ、と唸らせてくださる本を集めてみたいのですよ。どこまでできるか、ブック・エデンの存立に大いに関わるカテゴリーなのだ。

5.哲学・美学・芸術を中心とした書籍類:_
店主は曲りなりに哲学の徒でもある。古代における黎明期の思想、確立した哲学をほぼ近世までお見せする。

多くの哲学・芸術における先達は、必ずと言っていいほど、脇道にそれた博学ぶりを見せてくれる。

きっと好奇心だけが旺盛でどんなことにも手をつけてみたくなるのであろう。

6.漫画のパイオニア・手塚治虫とお弟子さんたちの世界から:
以前、ローマで手塚先生の展覧会をする。お手伝いを仕事の上でさせていただいたことがあり、いまだに世界中のどこででも、か弱くなった地球を、そこに住む弱い人のために、と意図して描きつづけられた手塚先生を紹介したい、と願っている。無論、店主などがせずともじゅうぶん世界がほおっておかないのはうれしい限りであるが。

そんなことから、できうればこの世界をきちんと紹介していきたい。ジャパ二メーションのパイオニアたちの姿を真摯に次世代につないでいきたい、という次第であるから。

7.絶版書・個人的レアもの:
所詮、本の本たる魅力を語るには、素人の域をでないのが現状である。

しかしながら、そこが「ブック・エデン」の店主が築いてきた、世界中の奇妙なコレクターとの繋がりである。パリの古地図、旅行記を中心にした古書店、マルタ島の新約聖書の時代を反映する、ドイツ古書連盟、オクスフォードの書店などをメインに、世界中の古書店と直接連絡し合い。その偉大なる歴史的書物群を取り扱い、ご紹介する。

| 2006.05.24 Wednesday | 17:34 | comments(0) | trackbacks(4) |
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