国境なき古本屋 ブック・エデン「book-EDEN」 の BLOG

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| 2006.11.30 Thursday | | - | - |
■新企画・国境を越えた古本屋巡り・第3弾:アムステルダム・ヨルダン川地区
世界に鳴り響く「国境なき古本屋」をめざしている。にもかかわらず、なかなか紹介をしない。本気でやるつもりがあるのか、と言われそうなので本企画を練り上げた、その第3弾はオランダにいく。
ブック・エデン店主は、以前の仕事の性質から海外へはしょっちゅう行っていたが、それほど古本屋周りをしたわけではない。つくづく惜しい!もったいないことをした、と「親が亡くなってようやく親を感じた」時とおんなじ感覚を今、覚えている。

ある時、店主はアムステルダムにいた。相手先は休日で誰も呼び出すわけにはいかない、これは常の店主の心得で、いつどこにいようとも、相手をおもんばかる心根なのだ。
そこであまりしたことのない「観光」にふらふらと出かけたのだ。
一度は見ておきたかったのが、かの「アンネ・フランク」が隠れていた、という館である。

www.erratum.gr.jp/ishikawa/imag/DSC00009-s.jpg


涙もろいので、TVの番組でもマンガででもすぐに、ほろっときてしまう店主は、あの急な階段を見ただけで、ぐすんとなってきた。
後はそそくさと見て回ったが、実に巧妙なつくりの中によく数年間もいたものだ、と感心するとともに、どこにでも名も知れず、そういうすこぶる恐ろしいに違いない行為を助ける人間がいる、そして必ずそれをちくる、やらしくさもしい奴がいるものだ、と思い知らされた。

そうこうするうちに、極度の方向音痴の店主はあてどなく歩くうちにぶつかったのが、今回ご紹介する、うすぐらあい古本屋街なのである。
古本屋、というのは「木」「紙」でできた造りでもいいのだろう、ヨーロッパのそれはまさに>「古書店」なのだ。がっしりした石造りの館のような店があちこちに並び、わくわくしながら回った。

持ちきれないほどの本を久しぶりに海外で買い、いたるところで握手を交わし、店主の本意ではない、「男同士のキス」をひげ面のほおに、2回もし合いながらその街を後にしたのは暮れかかる黄昏時であった。

あの街に行ったら、また行きたいな、と思う、そんな古本屋街がその川を巡る一区画にあったのだ。なぜそこまで思いを入れられるか、恐らくその古本屋街には、多くの古代オリエントの本があり、古本屋自体が古代オリエント時代から生きているかのように思わせる店構えであったからだ。むろん先の大戦で放逐されたに違いない彼等は、その後に来たものに違いないが。

そろそろ、>秋の企画―国境を越えた古本屋巡りを実行したいと思う。ぜひ、ご参加を!
>店主・生橋竜馬
| 2006.09.16 Saturday | 13:23 | comments(0) | trackbacks(1) |
●和食屋エレジー:バンコク「KURODA」
バンコク企業戦士」「経済戦争」を仕掛けた時期、しかもベトナム戦争と重なった一時期に、日本人が造ったような街まであるくらい、やむを得ずわれわれ日本人を受け入れてくれている。ことに中心街の「タニヤ」、その中でも「パッポン」という区域はそれこそ「日本人街」なので、片言の日本語以上のものが飛び交っている。
先の大戦でいい加減に懲りたはずのわが同胞は、「経済」という論理で、切り上がった「円」を武器に世界を駆け回ったが、その東南地域の拠点がここバンコクであったのだ。

image.blog.livedoor.jp/.../imgs/7/e/7ea873da.JPG


バンコクの和食屋には有名で、なおかつ味のしっかりした店が多い。こんな事情だから、日本人も多く、店主が合弁先との事業を推進する、端っこの方の役目で飛び跳ねていた頃、すでに大使館の近くの「赤門」では、安くて量の多い、しかも味も抜群の「ランチ」が好評だった。
料亭もいくつかあったが、「葵」はちょうど眼鏡の片方のレンズを成田で係官に落とさせられて割ったまんまで接待を受けたのでよく覚えている。

店主が行っていた頃は、もう日本人街も絶好調の時期からは少し落ち目な頃で、農協さんの団体がやたら買い物をして「顰蹙」は買うわ、日本人から段々ドイツ人、韓国人のいずれも「集団」に主役は変わってきていたのではないだろうか。1985年頃から、だと記憶している。

そんな中に、「黒田」という和食屋がある。タニヤに竦む日本人が相手の「飯屋」で、本と金がないな、と思った時に通う店なのだが、そこのおしんこは旨かった。
今ではタイでも「タイ米」だけじゃなく、「こしひかり」が生産されている。飯が食える、ことに「丼もの」が食べられるのがアジアのよさだと思っている。

今思うとなぜ、あの店ではあんなに安く食べさせてもらえたのだろう。
食い詰めた日本人を多く見かけたが、店主とて人様のことを言えた義理じゃあない。
店主は中華街の近くのホテルを常宿としていたが、なんせここは今でこそ「観光ルート」になっているが、英語の新聞もないほどのホテルで、たまにどうしてものこのこと「和食屋」にお出ましになるのだった。

こそこそと隅っこで語り合うわが同胞は、きっと一攫千金の夢破れかけて、ここに巣食うのだ。
そんな光景ですら、今はふと懐かしく覚う。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬
| 2006.09.16 Saturday | 00:32 | comments(0) | trackbacks(4) |
●「アンティーク・ポスター」で「ピカソ」のものもある、と聞いたので
しばらくここで書き上げず、店主も釣られてパブロ・ピカソに関する書、1973年にパリのPLON書店発行の「si tard le soir, le soleil brille」、邦題にすると、「黄昏時に陽は昇る」となろうか、何だかヘミングウエイの小説にありそうなタイトルなのだが、その第一章「les cavaliers d'ombre」(邦題「影のライダー」)、Joseph Foretの編集部分を読んでいた。
序文をArmand Lanouxが書いている。おもしろそうな軽い本なので、そのうちリストに入れて出すつもりである。

ご存知と思うが、ピカソという人は、たとえ「ポスター」といえども、きちんとした「作品」として、もちろん摺りはパリの「Mourlot工房」で摺らせたし、今のような「オフセット印刷」で大量に製造するわけではないから、丹念に指示を出しながら、その作品に命を吹き込んだ。
それが故にポスターにしては珍しく、「レゾネ」がある。

われわれのグループでは、「データ・ガーデン」でこれらのポスターを販売することになっている。店主は、せっかくだからピカソの本を読んだのであり、いわば「遊撃隊」として、売れて皆さんの元で生き直してほしいものだ、と思う次第なのだ。

店主が担当する国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」は、着々と世界の中で「手」を結び合える書店の「古本」、並びに現状所蔵している「古本」をリストアップしている。

ささやかに、こそっと始動するつもりなので、よろしく。
店主・生橋竜馬
| 2006.09.12 Tuesday | 13:13 | comments(0) | trackbacks(5) |
●お待たせしました!やっと「古物商」になったらしいのですよ
今日、親会社の「データ・ガーデン」の通称「大ボス」(体型が大きいのだね、ありゃ)が重い腰をようやく上げて、管轄の警察署に出向き、その足で地域の「防犯協会」に加盟するため、ご挨拶に回ったようで、夕方、「ふふふふ、古物商の資格が取れたぞおお!」と不気味な顔で、笑っていたのだろうね、何となく引きつっていたような顔つきだったが。

ともあれ、めでたいことで主たるカテゴリーは、何でも「アンティーク」のポスター類を販売するんだそうで、それが優先するせいか「美術商」ということになったようだ。
むろん、わが国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」は、相も変わらず「準備段階」なのだが、こうして仲間うちとして「古物商」になれたことは「売買」ができる、ということなので一歩前進である。

古写本の中で、一番の狙いは何と言っても「古代アレキサンドリア大図書館」所蔵の、焼失したといわれている、パピルスに書かれた作品群だ。以前から、この焼失で完全になくなったと言われている所蔵品の行方には大いなる関心をもっていた。
そりゃあそうだろう、もしこの大図書館所蔵の作品群が、完全焼失したとしたら、この2000年後の現在も、相当数の学問的価値のある作品群は、たとえコピーでも読むことはできないはずじゃないかな。

www.newchibaproject.com ... アレキサンドリア図書館跡
270 x 360 ピクセル- 18k - jpg
www.newchibaproject.com


[ことがらは何でも単純に考えた方がいいのだ、きっと裏で持って逃げた奴がいる、いや危険を顧みず業火の館内に飛び込んで、多くの巻物を救った男(だろうなあ、きっと。女性はこんな危険は冒さない。みっともないもの)、そういう男が後世に残るように差配したのだ。
これはただの巻物ではない、まさに「人類の歴史的価値ある」美術品なのだ、ということだ。

「探し屋・竜馬」は実はこんな裏側で隠された、「訳ありの作品群」が大好きなのだ。
それをようやく扱うことができるようになったのだ、みすみす見逃す手はない、と思うのは人情だろう。

ぜひともご期待あれ、わがブック・エデンはこうした「古写本」に必ず行き着くから。

店主・生橋竜馬
| 2006.09.08 Friday | 22:03 | comments(0) | trackbacks(2) |
●amo,amas,amat,amamusu,amatis,amant,こんな勉強なんになる、俺たちゃ哀しい何とかで...
こんな歌が先輩達からの申し伝えで流行っていた。今では知る人ぞ知る、という歌の替え歌で、何番まであったか覚えていないが、それほどまでに嫌気を催すほど、1世紀前の話ではなく、日常の覚えるべきこととして、「ラテン語」はごくふつうの日課(オルド・カノン)である、場所もあった訳だ。

www.worldlanguage.com/ProductBoxShots/459360.jpg




ラテン語がややこしく、ポット出の兄ちゃんたちに受けないのは、格変化の多さに起因する、が、ドイツ語でもフランス語でもそれなりに「格変化」はあるのに、「ラテン語かあ」という白い眼で見られるに違いないという、それこそ「隅っこの死語」のような言いがかりに、大して反論もできないので、よけいに嫌になるのだ。

名詞の「格変化」はお蔭さまで七つある、「主格」「呼格」「属格」「与格」「対格」「奪格」「地格」。まあ、そのうち五つも覚えればいいのだからそんなに苦ではない。それを、「単数」「複数」の二種類に渡って覚える。
日本語をきちんと文法的に「品詞分解」していると、これも「助詞」をくっつけただけの話だと分かるので、そんなに苦ではない。
むろん、格変化は規則的なもので六つ、その他に「不規則変化」が加わるから、しかもよその時代の見知らぬ地域の言葉なので、そりゃあ間違いなく「大混乱」すること、請け合いますが。
言い忘れたが、当然、「性の一致、不一致」は大事なので、「男性」「女性」「中性」とあることもお忘れなく。

タイトルに出したのは、「amo」(愛してますよ)という動詞がいかに数多く変化し、使いづらく、決してまともに「愛してるんだぞ!」とは言えない話を、先輩達から受け継いだ「泣き」の替え歌である。

動詞は、どこの国の言語でもやたら規則があるが、ラテン語じゃ、せいぜい「能動態」と「受動態」に分けて、後は「現在」と「過去」に分ければいい。そこに「直説法」と「間接法」と「命令法」を加えて、1人称から3人称の単数と複数をかければある程度までは完成で、「現在」と「完了形」をきちんと区分けして、そこに「未完了」と「過去完了」、さらには「未来」と「前未来」が関わってきますよね、人間のすることだもん。
もちろん、それぞれに「能動」「受動」はつきものなので、こんな文章じゃあ分かりにくいだけの話ではある。「接続法」はどうしたのだろう。要するにありとあらゆる「苦」を言語に入れ込んだ、「おしおきの言葉」のように見えるのだ、それが一回(二度とはしたくないからだが)覚えてしまうとこんなに美しく、機能的な言葉もない、と思いたい。

こうやって生き残った「ラテン語」は未だに生きているのだ、もしどうしても頭がぱっぱらぱーになるのを承知で人類の生んだ叡智、ラテン語をやってみたいなら、ご一報ください。

店主・生橋竜馬

| 2006.09.07 Thursday | 23:52 | comments(0) | trackbacks(2) |
●渦巻きの思想―古代都市建設に関わる「天文」知識の共有性
こうして「地球村」が狭くなってみると、すばやく方々の貴重な場所を覗くことができる。
まあこの程度のことはちょっと目を左右天地に開いてみると、誰しも飲み込める話ではあるが、店主には「へええ」と思い至ったことである。

都市国家、といっても「東京」や「ニューヨーク」、近いところで「香港」のようにやたらビル群を建て続け、そこを上には高速、また環状電車、地下には地下鉄、という訳にはいかな時代の話だ。
古代宗教の単一的な成立が相当後世の話と考えると、恐らく多神教を奉じながら、またいきなり襲ってくる「外敵」から身を守るため、都市国家の建設は古代のいつの時代にも、またどの地域においても同様の「情況」を抱えている訳で、急務な切実な話であった。

www.asahi-net.or.jp/.../sahara3alger/image3.jpg




そこで今、われわれは至るところに、何度もこの頃話題にする「迷路」のような街づくりを見ることになる。なるべく中に住んでいる人だけには何となく目印なのか、天文的な記号なのか分かればよく、外からやってくる者には、とんと理解に苦しむ街づくりをすればよかった。
それが「迷路」のような街であり、「渦巻き」のように帰納する「都市」の発明である。

幸いなことにわれわれは、あちこちでその残骸を垣間見ることができ、CGのおかげで再現もできる。つまり、その時代にさかのぼった気分になって、「渦巻き都市」を体験できるのだ。

ここでは、建築学的問題解決では測り知れない、意外な共通の基礎がどの街にも残っている。
多神教的神殿、の意義は、思想的に残すものがあれば文字文化として残るが、そうではなく、未知なる測り知れないもの、に対する畏敬の念が、都市国家には反映される。
それが「天文学的」な知識の反映につながるのである。

人類発祥、と言われるアフリカ大陸のさまざまな文化の名残が、口承伝承として残っている。
そこには必ず、天球と人の共生、さらには到底知るべくもない「惑星」「衛星」が取りざたされて、伝わっている。
20世紀初頭に新しい国で発見されたはずの小さな衛星がひとつ抹消されたが、そんな話には程遠い古代人の間では、行けるはずもない遠くに離れた距離に起きた文明の中で、こうした共有項が残っている。
もう少し、人間は「地球村」の一員として、さらに新たに「古代からの地球史」を覗き返してみてはどうだろう、と思う。

国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬
| 2006.09.06 Wednesday | 10:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
●迷路の地球村―モロッコ・フェズの出口
b>モロッコといえば世界中の誰もが当然のごとく、1942年度ワーナーブラザース・ファーストインターナショナル製作の、「カサブランカ」を思い起こす。老錬マイケル・カーティス監督がメガホンを取り、最終的にはイングリッド・バーグマン扮するイルザハンフリー・ボガードの酒場の主であるアメリカ人リックが主演した名画である。思いはそれぞれなので、これ以上は語るに落ちる破目となる。

今でもモロッコは、ヨーロッパ、恐らくリスボンから最も近いアフリカであり、砂漠と海に囲まれた自然の要塞は、幾度となく侵略されそうな時、その地に生きる人の味方をしてきたものだ。
フェズはどちらかというと、モロッコの内陸にあり、まさにヨーロッパ・アフリカ、などとひとくくりには言えない「文明」の印、「迷路」のごとき「街」を作ってきている。


www2.gol.com/users/chrisl/travel/wseuro041.jpg

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多くの人にとって、「迷路」というと、1937年フランス映画の名作、「望郷」(ペペ・ル・モコ)を思い出すに違いない。アルジェの迷路のごとき町並み「カスパ」、そこに逃げ込めば誰も見つけることはできやしない、ジャン・ギャバンミレーユ・バランの共演であった。

むろん国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主は戦後生まれなので、ある時期にこの再上映を観たわけだが、何度も繰り返してみた覚えがある。ここに「大いなる幻影」が加わると、皆さま同様の「わが名作座」となるのである。

フェズは古い町で、中世には当然のごとく都市として機能していた。当時、もう少し下のほうにある「マリ王国」が健在で、イスラム教の「神学校」が1000を越すほどに「教育」に熱心な地域があるほどで、恐らく中世が維持されてその後現在に至る「歴史」を継承できたのは、地道なイスラム教徒の活躍によることが大きい時代であったのだ。

フェズもむろん、イスラム教の町として栄えたが、やはりこの町の特徴はその「迷路」にある。
中に入ってうろうろしているうちにおかしくなってくるのだ、もしかするとこういう街には「地軸」を混乱させる何かがあるのかもしれない。今度また訪問する機会があれば、じっくりと見てきたい気もする。
ダマスカスもそんな街で、きっと「古代アッシリア」の街づくりのおかげで、今もってその面影が残っているのであろう。

「迷路」化された街づくりは、戦火が予測される時に、必ず採用されるようだ。長安の都、のようにはいかない、それがそれぞれの時代精神と相俟っている。
「地球村」を探索する時に、この視点を頭においておくといい。
恐らく、そんじょそこらの観光地を眺めながらカメラのシャッターを切るより、よほど「ぞっと」するほどの威圧感が漂ってくる、むろん人々は一応に「笑顔」であるが。

店主・生橋竜馬
| 2006.09.04 Monday | 14:50 | comments(0) | trackbacks(6) |
●久々にお薦め!「字だらけの本」―田川建三著「立ちつくす思想」
沖縄返還か・奪還か・解放か、でもめた1972年に本書は書かれている。この頃は、特に「字」だけの本は売値も安いし、むろん新刊でも相当に密かな「キャンペーン」を張らない限り、部数もそこそこにしか刷らない。
売れている本の多くは、その先の「映像化」がもともと決まっているか、ある意図をもって版元は「仕掛け」をしているからこそ「売れる」。
もちろん「出版社」だけでそんなことができるはずはない。「代理店」「絵」を描いて、そこにTV局映画会社が乗るか乗らないか、さらには「クライアント」筋の「商品化」に寄与できる「本」なのかどうか、でやたら「売れる」本は販売される「企画」となる。
同じ新商品を売ろうというのだ、3000、5000を中途半端に売ったところおで、一銭の儲けにもんりゃしない。だから普通、「字だけ」の本は売れず、写真集か、キャラクターものか、ということに、大雑把にいうとなるのだ。

>田川建三の文章は、ある種の批判が口から出てくるようで、まるで「絵」に描いたように見えて、>「字だらけ」の本のくせにさらっと読みこなせる。著者がよくよく考えた上での書、というものは、訴える力が自然とあって、本書もそうだが、一気に読める。
今さら「思想」ってなあに、と聞かれてもちゃんと答える大人の方が少ないくらい、「思想」「哲学」は受けない。「よくわかる哲学」などという本があるが、そんな安直にわかっちまうはずがないじゃないか、とつい思うようなもので、書き手もそう思って書いているから、「魅力」が残念ながら伝わってこない。

ともあれ、「思想は批判にとどまる。」というほっとするような書き出しで始まる本書を書いた田川の素晴らしさは、あれだけさんざやられていながらも「キリスト教世界」にとどまったことだろう。
常に批判し続ける、ということはもちろん疲れるし、継続できることではない。
どこかで「日和たくなる」はずの「誘惑」に何とか打ち勝ちながら、未だにこだわりの書をものにしている。そこが荒井献のような「人まね」の思慮のなさ、と違うところだ。

ただ避けて通れないこと、誰とて歳を食ってきているのだ、待ちかねている書を一体いつ頃どうしてくれるのだろう。むろん「マルコ福音書―中」あるいはその後の「下」の話である。
師であるトロクメ教授の年齢をもしかしたらもう追い越したんじゃあるまいだろうか。
今のうちである、ぜひともまだ歯切れ(たとえ総入れ歯でも)がいいうちに、書き終えてほしいものだ。

店主・生橋竜馬
| 2006.08.31 Thursday | 20:39 | comments(0) | trackbacks(4) |
■日本語を操る美女にうっとりする店主―日本中世史解明をチャレンジャー
芸能の世界や、ビジネスの世界にはゴマン日本語の達者「よその国」の人がいる。外人、ガイジン、という人である。あれは「海外人」のことなのだろうね。「外国人」だと聞いていたが、沖縄国(「琉球王国」と呼ばないと失礼にあたる、と店主は確信している)、も含め、「内国人」とは今は言わないのだから、「海外人」つまりわが国は「海」に囲まれているからごく自然にそう「総称」するほうがより正しい、と思うのだ。

京都大学に留学し、たまたま出合った英国の「美術商」のつまびらかな話に眼を輝かせ、帰途不安と冒険心に身を寄せて、ダブリンの小さな図書館で、ついに生涯の友となる、日本中世のあまり知られていない「民間・絵物語」に出合う、うら若き女性こそ今をときめく、(といったところで、知る人ぞ知る、といういつもの伝ですが)、バーバラ・ルーシュ女史なのである。


www.city.tanabe.lg.jp/.../rekidai/babara.jpg

[#IMAGE|b0100569_2154669.jpg|200608/26/69/|mid|66|82#]
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」を運営する店主は、割と「ガイジン」にも会っており、50数年間というささやかな人生の間に180回程の海外行き帰りをし、1000人ほどの交友はできたはずだ、いや、いた。だから中には「日本語の堪能な」恐るべき「ガイジン」も数人は、いたのである。

恥ずかしい話は前にもしたが、ジュゼッペ・ピタウというわが師に、久方ぶりにローマに連絡を取った時は、片言のイタリア語と英語で、当時はFAXで送っていた。そしたら、ちゃんとその「外国語」で返事は来るもので、じゃあということで話を進める。ことは「日本―イタリア」の国際文化事業の端くれに、だまくらかしたように「手塚治虫」先生のプロダクション、の社長、松谷さんを引っ張り出し、「アトム」を中心の「手塚治虫の世界展」を開く、ということの相談である。
それはさておき、ある時、「あああっ!」と店主は気づいたのである。
ピタウさんは「日本語」ができたんじゃなかったのか、と。
恐る恐る、今度は「日本語」でFAXを出してみたら、ごく当然のように「日本語」で返事が返ってきた。以来、店主はこのじいさんに対して、「外国語」なぞうっかり使おうという気も起こらない。

さておいて、と。バーバラ・ルーシュ女史のものすごいのは、「もう一つの中世像―比丘尼・御伽草子・来世」という素晴らしい著書を、オール日本語で書いたことにある。翻訳、なし!
そりゃ多少は何人かの先生方が、お助けしただろうが、ここまで見事にわが国の言葉で書をものにした人をわずかしか知らない。

カール・ワルケンホルストというわが師は、幾冊もの著書を日本語で書いた、きっとぶつぶつ言いながら。しかも超レアな世界、「聖書」の世界を書いている。ま、用語さえうまく使えば何となかる、かな。

資料の少ない、「中世」のさらに貴族・武士階級の文学ではなく、われわれの生き様に目線を落とし、しっかりと「救い」を書き上げている。
このあくなき探求の原点が、アイルランドの、首都ダブリンにある小さな図書館に埋もれていた、という事だ。店主は、諦めていない。まだ、世界の秘められた資料はどこかに必ずある。しかも日本語は分かりづらいから、きっと先の大戦の後か、その前に持ち出されている可能性はあるのだ。そしてきっとどこでもそうだが、段ボール箱にぎっしりと入れられたまんまほったらかしにされているのである。勢いはまた増した、「ブック・ハンター」としても、「探し屋・竜馬」としてもだ。
バーバラ・ルーシュの本、今この手元にある。頬擦りしたくなるほど、である。

店主・生橋竜馬

| 2006.08.26 Saturday | 21:18 | comments(0) | trackbacks(2) |
■穏やかかりし、パレスチナ周辺の旅―19世紀紀行文のご紹介
古本屋の親父でありながら、なぜかもったいぶっている訳でもないが、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」は書物のご案内をしていない。
「本とに世界中から『貴重な』書物を預かってるのか、買い入れたのか、紹介できるものがあるのなら、とっくにさわりくらい案内したっていいじゃないいいっ!」と、内なる声も日増しに高まるので、今日は1,2冊お気に入りの中からここに出しておく。ただし、写真が今は手元にないので、それは今度お見せする。

自衛隊の派遣、という事態が起きて、急にわが国でも身近な話、近所の噂話になっている「イラク」を始め、いわゆる「中東」の地域は店主の専門領域でもある。
この地域の、地域的「闘争」(「紛争」とも横から「世界のポリスマン」を自認する国々は言うが)が意味すること、その原因、及び起因に関する事柄も、多少は「理解」されるようになってきた、かもしれない。
所詮は砂漠の彼方の出来事なのだ、どんなに右に左にと「アジ」ったとしても、蚊の「ちくり」程にも感じるものではないのが大勢である。

1948年イギリス主導で当時「パレスチナ」「ユダヤ」「サマリア」などと呼ぶ地域は、全ヨーロッパからある意図を持って集められた「ユダヤ人」の国「イスラエル」建国となった。いわば「シオニズム」の勝利ということになるが、ま、その話は今はいい。

19世紀中旬、1856年のこと、幕末が始まりかけた頃の話しである。イギリスのカンタベリー司教である、「Arthur Penrhyn Stanley,M.A.」の手によって著述された「SINAI AND PALESTINE-in connection with their history」という著書がある。
無論、当時の地理的不具合さを考慮に入れてみても、なかなか詳細にその地域の「地誌」と比較文学的な文化論にはなっていて、比較的大著の部類に入るにしては読みやすかった。
地図が秀逸である。今の地理的分類、国の名前と大きく異なり、「Judaea」があり、「samaria」がある、「Galilee」がある。
変わらぬ風景は、山々と「死海」の息遣いだけではないか、と思うくらいだ。


1968年5月31日、という日付がある。これは、ドイツ中世哲学界が生んだ、Klaus Riesenhuberが学生を終えて哲学博士を取得した頃書き上げた著作「EXTENZ ERFAHRUNG UND RELIGION」の発刊の日である。
著者、リーゼンフーバーはイエズス会士であり、ドイツ哲学界が、師の渡日という事態で相当に大慌てをした、という事実を店主はなぜか知っている。
と、まあものすごく優秀な奴なのさ。一回りほど上の先輩なので褒めちぎるだけにしておくが、
今もってこの狭苦しい世界のなかでは人気度が高い。
ふん!である。
著書は「実存体験と宗教」、店主はいみじくも生意気にも翻訳をしてやろう、と試みたことがある。その原著が店主の書棚から出てきたので紹介するが、テイヤールの後継者、のような勢いが昔日にはあった、と記憶するが、まあ何せ70年安保の終わった頃の話だ、定かではない。
一読するといい、こういう狭い業界の中では、秀作なのだから。

店主・生橋竜馬

| 2006.08.26 Saturday | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
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