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| 2006.11.30 Thursday | | - | - |
国境なき古本屋 ブック・エデン「book-EDEN」 の BLOG■国境なき書店(洋書)■コレクションブック / 美しい本の書店 ●いよいよ12月、今年もあと一月となったねえ
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」を開業したはいいが、なかなかすぐに売れるものではない。店主、生橋竜馬も年末が近くなるとことさら、寂しくなってきて晩秋からは手が進まなくなってしまっている。
本が売れない、のではなく、恐らく「売れる本」を出していないからだ、と反省しきり、やはり企画屋らしく「年末のクリスマス・お正月キャンペーン」を貼ることにするか、と思う次第。 ブック・エデンは、店主のせいで古代オリエントから始まって西洋中世あたりの書物には、大いに関心もありちょこっとづつは売りに出そうと思っている。 ただ、そういう本は多くの人にとってどうでもいい本なので、どうでもよくない、タレントの写真集、とか、誰が書いたのか分からないような芸能人の本、を、あるいは絶対に売れる、と言われている、「アダルト系」の本を少しは並べてみないといけない、のかもしれない。 無理なのである。そういう本を売るとか読むとかいうこと自体、申し訳ないがこの古本屋では決して起こりえない。本人の好き嫌いもさることながら、ブック・エデンではそれをしない。 本が売れないと、古本屋なんてあってもなくてもいいものが、よけいにどうでもよくなるわけで、店主も他に食い扶持を捜すことになる。おもしろい話、があるくせに書く気力がなくなるのも、売れていないせいだ。 諸兄、こんなわけではまずいであろうよ。ぜひ、この貴重な「文字文化の継承」を叫ぶ、ブック・エデンを活用してくだされ、と11月の終わりに深々と頭を下げるわけである。 店主・生橋竜馬 ●聖トマス・アクイナス―「神の存在証明」とコスタリカの亀の産卵
神の存在証明を、闇雲な情熱と詭弁で、ではなくかなりな理性の力をもって試論としたのが、聖アンセルムスという男である。
おいおい、やたら久しぶりに何かを言い出したかと思うと、「神の存在」だとお!どうなってるんだ、という向きも多いことかとは思う。まあ、お待ちなせえ、所詮店主の言い草はすぐに脇道にそれていく。 この聖アンセルムスというおっちゃんは、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主・生橋竜馬とは縁が深い。そりゃそうだ、この聖人を記念する日、というのがたまたま店主の誕生日だからである。 店主の専門は古代オリエントではあるが、中世ははずせないので固執することがある。たまたまボエチウスの論考を引っ張り出してきて、そもラテン語の響きに酔いしれていたら、そうそうアンセルムスはあったかな、と思ういついた次第。 この「神の存在証明」を定理化したのが、聖トマス・アクイナスである。店主は次回のクリスマス特集でこのトマスの書を売り出そうと思っていたもので、ついでに書庫の奥から出してみた。 まあ、原著ではないし60年代に出版されたものでもあり、と思いつつ読み出したのだ。 驚いた。てっきりラテン語で書かれたものと思いきや、何とスペイン語であった。まあ、似て非なるロマンス語系の言葉であり、不自由はしないから、読み下していたところ。 友人の娘さんがスペインに留学をされていたことを思い出した。そして見目麗しきその乙女は、降りかかるラテン野郎の誘惑をものともせず、勉学にまい進していたのだそうだが。 ある年のある日、何となく旅に出てみたのだろう、そこはコスタリカの浜辺である。 降り落つるばかりの星霜、夜ですよ。その浜辺では、今しも亀の産卵が始まろうとしていた。 数年の間、大洋を泳ぎきり、ようやくたどり着いたその浜辺で、母亀はいきりながら卵を産もうと必死になっている。 その様を、じいっと食い入るように眺めていた乙女。うまいセッティングだ、こんなときこそ落ちるのは亀だけじゃああるまい、と一人の青年がそばに寄ってきた。 「セニオリイタ、よおくご覧なさい、彼女(母亀のことね)の限りなき力はどこからくると思う?」 「え?」 「ほら、彼女はあのきらびやかな天空の彼方にいる、神様からの力をもらってここにたどりついたのだよ」 「あらあ。ステキ!」 とかなんとか言い合いながら、ころっと乙女はその青年に参ってしまった、とか。 以前、雅楽師の東儀秀樹さんとスペインのホワキンさんたちとのコラボレーション・コンサートを手伝ったことがある。ダ・ビンチが発明した楽器でうんぬん、のコンサートなのだが、そこにいかにもやさ男、つまりは色男がいたのだ、もちろんスペイン人です。 スタッフの一人の女の子が、その後スペインにいっちまったと聞いた時、あんぐり口があいたままであったよ。 神のなさることの何と言う奥深さ、ばかばかしさ、をまさか聖トマスやらアンセルムスの成せる業と言ってはおこられんだろうなあ。 ブック・エデン、開業したのですよ。ここにはないが、データ・ガーデンのリストでぜひどんどんご注文をくださいな。 お待ちしていますよ、首をながあくして。 店主・生橋竜馬 ●懐かしの「セル画」を販売、始めます!
「探し屋・竜馬が行く!」という役割がけっこう忙しく、こうしてPCの前に座っていられなくなってきた。加えて、名古屋・岡崎へいったときに持っていった「風邪」がこじれて、まだごほんごほんしている有様である。もともと虚弱体質なのだろうね、マッチョのように頑丈なからだが恋しい。
そんなこんなしているうち、データ・ガーデンでは、戦後日本の誇る「ストーリー・マンガ」をベースにした「アニメーション」、すなわち「ジャパニメーション」の土台となる、「セル画」のご紹介と販売を始めた。 店主も懐かしい「竜の子プロ」が制作した「セル画」が多い。今や、コンピュータ化されてコマ送りも制作管理されるから、まだ30年、40年程の年月が経ったにすぎないこの「セル画」が、ある意味「アンティーク」のカテゴリーに属するようになった。 当時、週に一本かそこいらのアニメを制作するに当たり、数十人からの人間が、毎日ほぼ徹夜を繰り返し、一秒に数枚という割で書き上げていく。 ご存知のかたも多いとは思うが、なんせこの書き賃が安い。 かの手塚治虫氏が、世界に名だたる日本独自のアニメーションを世に出そうとし、とにかく制作費を抑えてでも請け負ったところから始まるこの悲喜劇は、その後かなり長い間定着したコストとして有名であった。手塚さんはアニメーションにかかる制作費のかなりの部分を捻出するために、過酷な連載も苦にされることなく請け負った。 今でもその苦労話が聞きたければ、手塚プロダクションに行くといい。多くは若い世代に変わってしまったが、それでも当時を振り返ることはできる。 そんな基礎となるべく「セル画」であるが、放映当時は、山のように描いてコマにするだけなので、どんどん捨てていった。今となってみれば、本当にもったいない話である。 国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」店主は、未だに手塚治虫制作の「実験的アニメ」の展覧会がしたい、その原画をこの手にしたい、と願っている。 今回は、まったく奇遇な縁で、さるコレクターから作品をお預かりすることになったわけだが、 先日、現物を目の当たりにし、いろんな想いが頭をよぎって困った。 今回、青森にある店主の同期が立ち上げた、アンティークのお店で一時期展示販売することとなった。ぜひ、ご関心のある方はお問い合わせください。 お待ちしております。 店主・生橋竜馬 ●故矢島文夫先生の「偲ぶ会」をいよいよ実施します
わが師であり、本国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」の生みの親でもありますが、古代オリエント言語・文字学者にして多様なご関心の持ち主であった、矢島文夫先生を「偲ぶ会」の実施をようやく公開でお知らせすることができるようになった。
本会は来年5月26日(土)に、財団法人中近東文化センター理事長・牟田口義郎先生を「発起人代表」とし、副代表に、矢島先生の最後のご奉公先であった、アジア・アフリカ図書館の母体である、財団法人アジア・アフリカ文化財団理事長でありアジア・アフリカ語学院院長の菊地弘先生、また独協大学名誉教授でありかつ宗教学者として著名な高橋正男先生をいただき、古代・エジプト研究室の長谷川ケン氏、さらには数多くの方に今後も発起人となっていただきながら、矢島先生のお人なりを、じっくり語り合う会としたい、と考えられていらっしゃる、のだろうと推察している。 店主、風邪をこじらせてそれでもこの連休、同期や後輩が待っていてくれたおかげで、名古屋でどんちゃか騒ぎをさせてもらった。その帰途、久しぶりに岡崎の世界こども美術博物館に立ち寄り、お話をさせていただいた次第。 帰京して、この「偲ぶ会」の正式発表となる会議の片隅に出席させていただいたおかげで、こうして皆さんに明快なご報告ができるのだ。 今日はこのご報告をしたかった。そして、わがブック・エデンは開業したのだ、数件の問い合わせを知人からいただいているが、どんどん遠慮なさらず、ここでもよし、データ・ガーデンの問い合わせボックスにでも、また店主の携帯にでもどこにでも、何なりと仰ってください。 もちろん、「探し屋・竜馬!」はずっと待機している、今南方熊楠の書を探してほしい由の問い合わせをいただいており、日中駆けずり回っている。世界のどこにでも行く所存、よろしく! 洋書群、さらにはクリスマスにふさわしい、本をこれから用意する、ぜひデータ・ガーデンの、book-eden のブック・リストという旗が右下にたっているので、クリック!よろしく。 店主・生橋竜馬 ●本日、ひっそりと、しかしとにかく「ブック・エデン」は開店しました!
厳粛な気分です。故矢島文夫先生とのお約束をなかなか果たすことができず、みっともない想いで準備を続けてきましたが、ようやくデータ・ガーデンの一部にリンクするキーを設け、「国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」はこっそりとささやかに開店したのです。
当初から申し上げていたように、店主・生橋竜馬は「探し屋・竜馬が行く!」というポジションで、皆さんと身近なお付き合いをしていきたいと思っています。 専門は、古代オリエントですが、そこそこに中世・近世はことに「書物」が、大量複製メディアとして世に出た時期であり、さりとてこれほどの情報網が完備している時代でもなく、そこここに眠る「書物」の数は、未だにここにこんなすばらしいものが!と思うほどです。 「文字文化の継承」を叫んできました、古本屋の親父ごときに何ができる、と思われましょうが、生憎まあその通りでしょうが、次代へできるだけ選んだものはごく大事に伝えていきたい、と思うのはこの分野に限ることでもないでしょう。 人類の大きな革命的発明のひとつ、「文字」による文明・文化構築は、ようやくせいぜい6000年のわずかな時を刻んだに過ぎません。 多くの名著と呼ばれ、辛うじて継承してきた書の数々は、さらにせいぜいが2〜3000年の時を経たに過ぎず、しかしその短い中に生まれた「書」をわれわれは、身を火中に投じてでも守って、継承してきたのです。 ぜひ、お声を一声かけてください。店主は皆さんの一声で、「豚も軌に登る」がごとく世界中を駆けずり回ります! よろしくお願いします。 店主・生橋竜馬 ■お待たせしました!11月1日、「店主のお薦め100冊」で開店します!
急に、短期出張に出かけており、たまたまノート(PC)を持って行かなかったせいで、かなり空白の時を作り出してしまったこと、お詫びします。
世界の古書店巡りの旅―企画を推進するための出張でした。 いよいよ、国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」は、11月1日、「店主が勝手に薦める100冊」を登場させることで、秘かに開店してしまいます。 きっと、店主は「あ」という間に売り切れる心配をし、現実は「いつまでたっても一冊も売れないのはどうしてなんだろう」という事実を突きつけられて、落ち込むに違いない。 それでも店主・生橋竜馬が自信を持ってお勧めする本ばかりなので、ぜひ、お手元に所蔵していただけるとうれしい。もちろん、店主の思いをきちんとつづった「書評」なり、「レジュメ」付きなのでそれこそお楽しみにしていただきたい。 洋書・和書の取り合わせで最初のお薦め「100冊」をご覧にいれるが、ブック・エデンでは、「探し屋・竜馬、走る!」のコーナーを充実させる準備にまい進しているので、そちらをご活用いただきたい。世界中に眠る、写本、古書、古本、また店主専門の「古代オリエントから西欧近世」あたりまでの文化的遺産の端っこを、皆さんにお買い求めいただくよう、探し回るつもりである。 いつでもメールなどでご連絡いただければ、お返事いたします。 ぜひ、ご期待ください。 店主・生橋竜馬 ●特急「ヤンキー・リミッテド号」走る!
ここ暫く企画屋もどきの作業をしており、ここに戻ることがついできなかった。本業はあくまで、古本屋の親父、である。
日本の鉄道技術の水準は、世界に引けをとらない、などとは言うまでもない。かの新幹線を通した男達の涙なくしては語れぬ話も、今や風化してしまい、「のぞみ」は他国にまで輸出しているほどだ。 こんな特急列車をご存知か?その名を「ヤンキー・リミテド号」という。横浜から札幌までをひた走る超特急なのである。JRに聞いたとてなかったことにしてしまうに違いない。この特急は、確かに日本を走っていた。昭和24年ごろの話であるから、さすが国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」主人も生まれてはいない。 この特急は、当然のことながら占領軍の「GHQ」のうちアメリカ陸軍を乗せて、横浜から東京、上野を通り、常磐線を使って仙台、青森まで行き、なぜか港の多い室蘭周りで札幌まで行く、という不思議な列車であった。 もちろん、敗戦後間もない頃のことであり、資材はどこでどう手に入れたものか、当時の国鉄マンの意地を見せ付けたような豪華な車両に、不足していたはずの石炭を満載し、しかも占領軍さながらの食糧を、食堂車で味あわせるといった、すべてにおいて「勝者」だけに許される列車であった。 なぜこんな話をするか?わが国の鉄道技術は、かの満州国を横断した「アジア号」の走駆をはじめ、現在の北朝鮮の平城まで行ける技術をそこかしこで披露してくれたのである。 現在の世界を見てご覧。まだまだ鉄道すら満足に走っていない国が山のようにある。 店主は、黙々と地味な作業で一歩一歩づつ列車を機関車を走らせる、鉄道屋、そういえば「ぽっぽや」ってあったね、ともあれそうした人間の琴線に触れて涙することがあったのだ。 わが国はケチで、物資もなく平野も少ないから、というので「狭軌」を採用したが、それでもどこに行くにも鉄道さえあればいける、という感覚がある。 GHQは連合国なので、東京から東北、北海道をアメリカ合衆国が占領したらしい。そこで移動に使う列車を「ヤンキー・リミテド号」と名づけた、のだと推測する。団塊の最後の時代、そんな豪華な特急列車が走っていたことを、知らせたい一心でここに記す。 店主・生橋竜馬 ●いよいよ読者もいなくなった頃かと
どんなに特色を出して開店してやろうか、とむじゅむじゅ考えながら手配をし続けていて、ここをきちんと続けることがおざなりになっている。まあ、読んでみても腹を抱えて笑い転げる話があるわけじゃなし、さりとて明日を生きる「元気」の源には決してならない、保障書つきです。
国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」を開業する時は、かなり珍しいものを「開店セール」で並べるつもりである。ただし、珍しいから、といって貴方がほしくなるかどうかは、まったく別問題なので、もしかすると、ですぞ、ただの「がらくたの類」の本が並ぶことになるかもしれない。 それでも少し光明が射してきたような気がするのだ。ことのついでに高価な写本の類に関しては「ファクシミリ・サービス」を設ける、かもしれない。 古本屋だからといって「本」だけを売るわけではない。だからあえてもしかしたら「がらくた」なのかもしれない、と申し上げている。 ふと歴史をいつものように、縦軸・横軸に輪切りに切ってみていると、ある時代に眼が留まった。 企画屋として、「ビーナスの時代」というかなり象徴的に美しい「女性像」を集めた展覧会企画を作っているところなので、よけいに眼が行ったのかも知れない。 実にAD7世紀近辺には女帝が多く輩出している。日本で言うと、小野妹子が遣隋使として渡欧できていたし、大化の改新が起こり、法隆寺も建立されていた。店主はこの時代こそが、わが国の古代を解きほぐす「キー」になる時代だと踏んでいる。 なぜか。要するに分かっている史実が多くあり、哀しい史学の世界においても、掘り起こされている遺跡もあるし、今もって残っているものがけっこうあるからだ。 出てもこない、あるいは掘り起こすことさえ許可がでない遺跡を遠くから眺めながら、「邪馬台国」論争をしてるのも、むなしくないのかねえ。 まあ、いい。ともかく女帝が多い時代なのだ。ペルシャのササン朝では、アーザルミーグドゥクトという女帝(631〜32)。新羅では善徳女王(632〜647)、真徳女王(647〜54)。中国ではかの則天武后(690=705)。日本では斉明天皇、持統天皇(697〜701)、などである。 世界的に残る大宗教が、この時代いやというほど広まったことが要因と考える向きもある。 となると、国家元首が女性の時代にこそ、利害と魂の一致が広まるのかもしれず、なかなか研究対象としてはおもしろい。 こんなところにも視野をおきながら、開店準備を続けている。いくらでも言うが、ぜひご期待! 店主・生橋竜馬 ●矢島文夫先生の摩訶不思議な本
私が店主の>生橋竜馬である、>「いくはしりょうま」という。国境なき古本屋―ブック・エデン「book-EDEN」という名前は、故矢島文夫先生からいただいた。先生は晩年の「押しかけられ先生」であり、よく店主の情けない話を聞いてくださり、「ネットで古本屋をやろうと思うんですよ、それも世界中の古本屋から大事な『古書』、『写本』のような『稀稿本』だけを預かって、世界の架け橋となってですねえ...」と言い、「文字に関わった人間の義務ですね、『文字文化の継承』は」と言い放った。
実は実際に店を出す資力もない、しかも性格からしても三日とその店を続けることに自信がなかっただけのことなのだが。 それを宣言したのが去年のことで、店主は路頭に迷っている状態で、まあよくもそんな乱暴な話ができたものだ。「いいねえ、それを望んでたんだよ、そういうあっちこっちの本をつなげてね...」と仰った。言い表せないほど嬉しかったのだが、生意気な店主は「そうでしょ、そう思うでしょ、ねえ。」と答えた。 「名前はどうするの?」 「そうですねえ、どうしましょうかねえ、とその場で思いついたような名前を並べたら、あっさり「だめだね、それじゃ。ぼくが考えましょ。」とそれだけで決まったのである。 まだその古本屋は「開店準備中」のままである。当初、思っていた、世界中のちょっとだけの古本屋の「書」と店主のわずかばかりの「古本」では、あっさりと売れきってしまい、後が続かないことに恐れおののいたのである。 実はそんな「活況」はどこでもそうなのだが、呈することはないそうで、それでも「仕入れ」はしないといかず、その「原資」に詰まり、いまだ「準備中」なのだ。 ここに不思議な「ボール紙」の表紙の本がある。1952年発行、著者は「Rene LABAT」、書名は「MANUEL D'EPIGRAPHIE AKKADIENNE」という。1948年が初版なので、その再販なのだろうか。パリの「Imprimerie Nationale」が発行元である。 腑に落ちていないのが装丁、製本の仕方なのである。 確かに戦後間もない頃、それでも7年は経っているが、ヨーロッパも紙不足には深刻であったはずで、ボール紙の表紙に本文も悪いことは確かだ。 その製本なのだが、フランス綴じにはなっていない。背にクロスを貼り付けてあるのだが、それがどうも素人っぽいのである。 内容は素晴らしい。アッカド語を学びたい、という人間にとって、よだれが出る、はずの内容である。店主はこの書のコピーでアッカド語を学んだ。書き込むのに恐れたのである。 もともと店主はどんな本にも書き込む癖があり、本を読みながら著者と「対決」している錯覚に襲われることがあるほどだ。 書体は、今では「フォント」などと言うが、実は「書体」なのだ。筆記体の嫌いではない方の部類で、じっくりと読み込んでみたい衝動にかられる。「書物」はこうじゃなくっちゃいけない。 大量に表紙と本文がおんなじような、どこにでもある「本」に仕上げた段階で、既に「本」は売れない宿命を背負わされている。 トレジャー・ハンターで書物ハンターの店主にとって、ここにあるこの一冊は至福の一冊なのである。こうした本作りをしてみたい、と思わず叫んでいた。 店主・生橋竜馬 ●Sometimes, hot message from "Boarderless antique-book shop: book-EDEN from Tokyo!
Good evening, every fans for antique-books all over the world!
This is your storekeeper(um, this expression is too much light to me) of the Boaderless antique-book shop,book-EDEN. so i would send you my message and proposal with passion et gout, I would like to find many antique-books hidden in your warehouse over the world. My main subject is about an ancient language and letters in the ancient orient area, and old manuscripts in a middle century after only some thousand years since ancient times. I would become a book-hunter, and would I go everywhere within this mother star, so please be wait for my visiting in front of you. I would like to make a network about antique-books over the world, of course we(you and I) would handle our trasures one another, by e-mail, through internet, and call for. How do you think? If you would feel intersted in my proposal, please let me know! I always wait for your hot message same as me! Ryouma Ikuhashi Blog Information
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